一作年の第100回甲子園野球大会ではあの金足農高が99大会ぶりに準優勝、今年は秋田県出身の菅義偉氏が第99代内閣総理大臣レースで断トツの優勝である。どちらも奇跡だ。県民所得、少子高齢化率、がん死亡・自殺率、一日歩数とどれをとっても全国低位置で、秋田美人やコメ、酒などのご当地自慢を忘れがちだった県民は、スガちゃんまんじゅう、スガちゃんイチゴヨーグルト、似顔絵カフェラテ、スガせんべい、Tシャツ、Go To生家(湯沢市秋の宮)と浮き立っている。
菅氏は1948年生まれで私より3才上である。中卒後の集団就職は当時ごく普通で、高卒の多くも首都圏に就職していた。しかし今でも記憶鮮明だが、中学や高校の教師たちは、「東京で修業して、故郷に戻って錦を飾れ」と、今でいえば起業を促す激励が口癖で、勉強していい大学に入っていい会社に勤めろ、公務員になれという教師はまずいなかった。戊辰戦争で官軍だった秋田は錦の御旗に親しみがあったか、ともかく「末は社長か大臣に」の言葉通り菅さんは故郷に錦を飾った。
その菅さんが日本学術会議の件で、入会を拒まれた学者や決定に不服の識者、野党から「学問の自由が失われる」と攻撃されている。だがうちの外来に通う腰の曲がったおばちゃんは「学問の自由がないって、不自由なことだべ。親に金がなくて高校から東京さ就職した菅さんも不自由したべな。そんな苦労も知らない学者先生はホジ無しでねべが」と彼の肩を持つ。秋田弁のホジとは分別をさす。
昔、私はバレーボールや団体テニス戦の監督、劇団座長をやったことがある。厄介なのが選手や役者の起用で、あまり本番に向かないメンバーの扱いに悩まされた。義理と人情で勝負を捨てていい試合もあるが、毎度そうはいかない。「俺の演技が気に食わなければ座長が手を引け」と脅すベテラン役者に手を焼いたこともある。
独裁政権に言論の自由を奪われた香港、脅迫に抵抗する台湾、暴政に泣くウイグル族や内モンゴルなどの状況を考えると、つくづくわが国は平和だなと思う。「表現の自由がない、言論の弾圧だ」と叫べば即マスコミが取り上げてくれる。なのに日本の言論の自由度は世界でも下位グループというからふしぎである。2020/10/9
里山の秋(北秋田市阿仁)
由利高原のコスモス(にかほ市)
10月の田沢湖・駒ケ岳
スガちゃんまんじゅう
敵を間違えてよく私に吠えるチコ