アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.114

署名 ~ワクチン接種、その後~

医療関係者への新型コロナワクチン接種は遅れに遅れている。あの大阪市のど真ん中で開業している自治医大同期は、「3月に入ってコロナ疑い受診が激増し、連日のPCR検査。ああ、それなのに自分のワクチン接種はやっと4月22日だった」とぼやいていたが、私も4月25日に初回を済ませた。

5月1日、今度は私を含む医師3名で住民に集団接種である。3月の模擬演習を教訓に余計な問診はしないと決意し、医師ブース3つの1つで待ったが住民はなかなか来ない。スタッフの市職員らに尋ねるとやはり受付で予診票確認に手間取り、次の保健師の問診でも渋滞という。やっと現れた住民に「お疲れさま。ここまで受けた説明に納得してワクチンを受けますね?」と念を押すとハイと頷き、そのまま注射担当の看護師へ回す。簡単すぎる問診を怪しみながらもスタッフは他のブース前から次々と私の方へ住民を誘導する。隣の医師は、今日の体調はどうか、アレルギーはないかなど受付・保健師と同じ丁寧な質問をしていた。あまり感心しないが、恐らく5割方は私がこなしたことになる。

しかし、予診票の署名には参った。ハンコの省略は大いに結構だったが、いかにも書類大国ニッポンらしく1枚の紙に署名は2カ所に必要で、私の姓名の画数は37画もあり、これが約50名だから苦労である。その数日後、飲み友の家に新型コロナが発生した。里帰り出産の娘が東京から持ち込んだもので、本人も親夫婦も即入院。やがて娘は児への感染予防のため帝王切開で出産した。友にメールで児の命名を問うと、娘の夫の父親が決めたといい、何と48画。押印廃止・署名時代にえらいこっちゃ。

欧米人の名前は、例えばアンリやミシェルなど、失礼ながら単純明快である。印ではなく署名の文化だったことも理由ではあるまいか。ともあれ米国のワクチン接種は凄い。大リーグの球場に訪れた観客にサービスで接種している。これくらい大雑把にやらないと集団免疫の獲得は難しそうだ。

2021/5/12

阿仁川の桜(北秋田市阿仁合)

鳥海山と菜の花畑

今年も竿灯はコロナで中止か…(秋田市大町竿灯大通り)

ハートインレター58

写真撮影:大日向かなえ

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。