7月20、21日、秋田市土崎地区で3年ぶりに港祭りが開催された。土崎駅近くの神明社の例祭、曳山行事である。ここ2年はコロナで中止していた。江戸文化が花開いた元禄に続く宝永元年(1704)に、隆盛を迎えていた北前船の船主たちが神輿を寄進し、翌年から渡御が始まったとされる。当時は北東北で地震が頻発し、南海トラフ地震の1つ富士山大噴火は1707年だった。
土崎は私の住む大久保のJR駅から秋田駅へ3つ目の駅で、男鹿潟上南秋医師会の会議で利用するホテルや私の床屋がある。大学同期の古谷の実家もあり、学生の頃、同級で政府の新型コロナ感染対策分科会会長をしている尾身茂らとこの祭りに参加し、曳山を引く綱に振り回されているうちに尾身は両足の親指の爪を、私も右足の爪をはがした。2日目の夜、興奮の坩堝と化す「戻り曳山」での出来事である。そんなことを思い出しながら初日午後、土崎駅に降りた。懐かしい囃子の音、曳山の車輪に塗りたくる油の匂い。ああ、祭りが戻ってきた…。
戻り曳山は「音頭上げ」で始まる
正面の人形は歴史の一場面(角館の曳山は歌舞伎の一場から)
見返し「だじゃぐこぎ世界平和のゆめ返せ!」
とはいえ、その日のコロナ感染者数は都内で新記録の2万5千人、秋田も830人と記録を更新していた。第6波が話題になり始めた6月からお祭り実行委員会は決行が中止かでもめ、私の床屋によれば、囃子を録音テープで流し、曳山を引く曳子らのジョヤサ!の掛け声は禁止にしようとか、露店は酒類禁止か、それくらいなら今年も中止にしろとか侃侃諤諤だった。そんな中でのこの祭りは国の重要無形民俗文化財であり、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも指定されている。クラスター発生ではお話にならない。曳山に群がる若者たちが実行委の定めた自主規制を守るとは到底思えない。と、慎重なおじ様たちは危惧する。
だがしかし、猛暑の中で23丁内から出ていた曳山につく若者らは、驚くまいことかほとんどがマスクをし、浴衣半纏でジョヤサの声も勇ましく汗だくで曳山を引き回していた。コロナを心配するカミさんに呆れられながら翌日も終業後、今度は撮影を頼んで娘と出かけた。23台の曳山は相染町に順番通りずらりと並ぶ。曳山の背後に立つ「見返し」が愉快だ。その文言のコンクールがあり、優秀賞はプーチン人形の傍に「だじゃくごぎ(横柄)世界平和のゆめ返せ」(ゆめは秋田県知事がプーチンに贈った秋田犬の名)であるが、私は「おらほだば(我々の方は)死亡原因トップガン(癌)」が気に入った。
4日後の夕、市役所で医療福祉関係の会議があった。座長の私が「港祭りから4日になるがコロナは増えていない。影響なかったね」というと他の委員らは「先生、甘い。来週から竿灯が始まる。県も検査を控えているに違いない」「でもそろそろコロナの疾病分類を2類から5類に下げないとなあ」などと会は終了。そして5日目の本日、秋田はいきなり1280人の新記録。私は何ともない。2022/7/26
「おらほだば死亡原因トップガン」秋田県ですから…
戻り曳山を前にくつろぐ(右は写真班)
22-06-24 レター70
22-07-26 レター71