私と同年だったある書店の親父は大の箱根駅伝好きで、往復ともに録画し、酒を飲みながら何度でも見る、しかも早送りで、というので驚いたものだが、10年前に病死した。別の同年男は見るだけでは足りず箱根の現場へ何度も足を運んでいたが、やはり10年前会社で爆発事故に遭い、顔から脚まで全身ケロイドでまだ生きている。その頃から私も正月はテレビでこの駅伝を見るようになった。
小柄で細身の某薬剤メーカー社員T君が半年前、異動でこちらを担当することになりましたと挨拶に現れた。会津生まれの31歳、神奈川大学卒という。ほう、箱根駅伝によく出ている大学だねというと、ご存じでしたか、実は選手でしたと目を輝かす。箱根駅伝を実際に走った人にはまだお目にかかったことがない。そりゃたいしたものだ―。
高校で陸上部だった彼は目立つ記録を残せなかった。だが卒業を前に、もっと走りたい、走るなら箱根路を、と考えるようになる。そこで進学先を調べたところ、駅伝で有名な大学の陸上部は推薦しか採らないと判明。担任に頼んでみたがやはり推薦はどこからも得られず、入試さえ通ればOKと例外的だった早稲田は学力にやや自信がない。そこで神奈川大を受験、合格。入学式の当日、陸上部の門を叩く。問答無用で断られる。母親を頼み翌日再び監督に頭を下げ、粘りに粘って1ヵ月間の仮入部が許される。厳しいぞ、耐えられるかといわれた彼は死に物狂いで励んだ。努力が認められ夏には正式入部。2年次に推薦入学生らを尻目に箱根メンバーに選抜され、復路の第1走者、第6区を任された。それなりのタイムが出て翌年に向け練習に励んでいたところで、ケガである。3年次は出場できず悔し涙にくれた。だが会津魂で奮起、4年次に再び第6区出場。チームは14位でシード権は得られなかったが、自分なりに満足できる区間記録は出せた。話がうますぎ。ほんまかいな? ネットで調べたら力走する彼の写真満載だった。疑ってすみません!
2019年NHK大河ドラマ『いだてん』の金栗四三らが、1919年にマラソン選手の育成と練習を兼ね早稲田・慶応・明治・東京高師の4大学駅伝競走として始めたのが箱根駅伝である。過去に延期中止もあったが今年2023年は99回目。各大学はケガや体調不良選手を抱えながらひたすらタスキをつないだ。が、太宰治の『走れ、メロス』ではないが、タスキは、待つ身も待たせる身も辛い。
熱海で痛飲し金がなくなった太宰は友人の檀一雄に東京から金を持ってきてもらう。だが2人は遊興三昧、また金がなくなる。太宰は壇を人質に残し東京へ金策に向かう。5日たっても戻らない太宰にしびれを切らした壇は借金取りを伴い上京。太宰は荻窪の井伏鱒二宅で将棋を指していた。怒る壇への慚愧に堪えかねて書いたのがこの作品といわれるが、ともかく、時間切れでタスキをつなぐことができず、次走者のいない中継所で悲嘆にくれる選手の姿が檀に重なってしまった。
昨年9月にグランドオープンした「あきた芸術劇場ミルハス」(中央に輝く巨大建造物)
ウクライナ国立バレエ(ミルハス 2022-12-24)
ミルハス開館記念ミュージカル『欅の記憶・蓮のトキメキ』(2023-1-15)
一日市の裸参り(秋田県八郎潟町の元旦行事)
22-12-16 レター74)