アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.126

傭兵の戦い ~軍事会社と社長~

ウクライナで謎の戦いを続けるロシア軍は、兵士不足からか他の理由もあったか、民間軍事会社「ワグネル」の手を借りている。ワグネルはいわゆる傭兵だから戦闘以外にも色々便利な面があるらしい。知人の自衛隊員に「もし君がワグネルの社長だったら、ウクライナで社員をどれくらい働かせるかね?」と問うてみた。「難しい。院長なら?」と逆質問する彼に、雇い主には善戦していると見せかけ、社員には死傷者が出ないよう最大限に気を配ると応えた。

中世ヨーロッパで騎士の一騎打ちだった戦争は18世紀に傭兵隊主体へ変わってゆく。傭兵は派遣会社の社員みたいなもので、社長は依頼主と契約を結び戦場へ赴く。依頼主が替れば今日の味方は明日の敵になるかもしれない。傭兵の供給元はスイスが多く、戦闘現場でスイス人同士が戦うこともあったという。どちらの社長も社員に死傷者が出れば保証が大変だから、戦闘は華々しく、被害は最小限にと考える。

こんな連中では話にならないとフランスではナポレオンが国民軍を作った。かくて戦争は国対国の構図となる。そのナポレオンがロシアへ攻め入り、ナチスドイツが侵攻した記憶がプーチンの頭に蘇りNATO憎悪につながったのだろう。しかし、自国の伝統的な南下政策は侵略また侵略、抑圧につぐ抑圧だった歴史は都合よく忘れ、何をするか分からないロシアとの戦を周辺の国々は避けようとしてきた。

戦果を巡ってワグネルは時々ロシア政府と対立する。わが社はよく成果をあげているとアピールするのも大事な営業活動で、ワグネルの社長もその辺は抜け目がない。塀の中の懲りない面々の社員多数とはいえ保証を考え損害を減らす工夫もせねばならぬ。それにしても国連や経済相互依存にミサイルのこの時代、まさか戦車で隣国を攻め込むとは思わなかった。こんな甘い考えにロシアは容赦ない現実を突きつけ、ウクライナは抵抗のド根性を見せ、各陣営の相矛盾する情報は世界を困惑させ、戦は泥沼化する一方だ。2023/3/15

ナマハゲになる前の神事(男鹿の柴灯祭2月10日)

ナマハゲになった若者たちは奇声を上げる

群衆の中へ繰り出すナマハゲたち

ナマハゲ伝道師の友人(左)と

田沢湖スキー場(2月11日)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。