3月春場所、20歳のエジプト人力士が初土俵を踏んだ。しこ名も大砂嵐金太郎。だが相撲取りにつきもののちゃんこ鍋は、豚肉が入っているためイスラム教徒の彼は食えない。1日5回の礼拝も稽古に支障がないよう続けているそうだが、ラマダンという断食月が本場所に重なると面倒らしい。本人は、乗り切る自信はあると語り、大嶽親方も期待していると懐の深さを見せている。
1986年4月、パリからピレネー山脈を越えてスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラまで、いわゆる巡礼の道を辿ったことがある。道中に点在するロマネスク教会の柱頭芸術が目的の一人旅だった。駅に降りて地図を拡げていたら、米国の団体客が教会まで案内してくれと言う。私も初めてだが一緒に歩いた。大伽藍に着くと中の一人が、君はクリスチャンでないから中に入れない、サンキュー、バイバイ…。無礼者! むろん遅れて私も入り、秘かにイエス像へ2礼2拍手1礼。それにしても身勝手な米国人よ。
94年秋、赤坂のトゥールジャルダンで恩師の出版記念パーティがあった。番号付き鴨などを食べた後、ホテルの一室で書店社長や友人、コートジボワールのアビジャン大学教授、助教授と二次会をやった。キリスト教徒の助教授と私たちは酒を飲んだが、イスラム教徒の教授はジュース。助教授は気にするなと言うがちょっと気が引ける。そのうち教授は巻いた敷物をスルスルと拡げた。礼拝の時刻である。しばらく静かにと助教授が目配せした。お祈りが終わると教授は何食わぬ顔で談笑の輪に戻った。
パーティで遠来の異教徒と歓談しておられた恩師は近所の神社の氏子責任総代。社長も地元曹洞宗の檀家総代。あちらの宗教は十字軍のころから政治経済がらみでたまに寛容を忘れるが、医療は元々宗教から派生し、人助けと寛容を血肉化してきた。相撲だって神事の一つで、医療と根っこは同じ。ガンバレ、大砂嵐!
エヴァ(サン・ラザール大聖堂 オータン ロラン美術館)
我が家のエヴァ
私も祭事委員長