アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.16

英国王のスピーチ ~ドモリ(吃音)に悪い奴はいない?~

この5月、エリザベス女王は即位60周年を迎えるという。その父君ジョージ6世を主人公にした映画「英国王のスピーチ」は、ドモリの王が言語療法士の助けを借りながらその使命を果たす物語である。

幼児期からのドモリのためスピーチが苦手だったジョージ6世は、恋愛問題で王位を捨てた兄の後継王となる。当時のヨーロッパはヒットラーの台頭で風雲急を告げる状況だった。王は大英帝国の諸国民を鼓舞するためラジオのマイクに向かい、歴史的なスピーチを成功させる。そこに至る経緯が見どころで、言語療法士は、「生まれたばかりの赤子にドモリはいない」と王を励まし、厳格な父王によって左利きを右利きに矯正された3、4才ころに、ドモリが始まった事実を直視させる。利き腕の矯正が原因の一つであろうというのは当時から知られていたようだ。

文字は右手で書くが、左利きで吃音の友人がいる。左利きを直されたのが原因ではないかと、彼はあるとき母親に尋ねた。だが返ってきた言葉は、お前は生まれつきのドモリ、私に責任はない、産声だって、オ、オ、ギャーだった…。小学校時代、自分に朗読の順番が回ってくると教室全体に緊張が走り、第一声が出ると全員がほっと胸をなで下すのが分かったという。

実は私も講演を頼まれると、先生は少しドモリますねと指摘されることがある。口角泡を飛ばすような場面や緊張が強いときに出るようだが、学生時代にこの友人から感染したらしい。ドモリはうつるという説は昔からあった。

頭の回転に口が追い付かないのがドモリ、ドモリに悪い奴はいない、という説もある。実際ドモリに悩む人々の多くは早口で、悪だくみをするヒマもなくしゃべる。正直でそそっかしいのか。ジョージ6世もわが友も、ついでに私なども、ま、悪い人間ではないのかもしれないが、以上の説に確たる医学的根拠がないのがやや残念である。

我がドモ達

宇都宮のフランスレストラン前で

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。