新田次郎の小説「孤高の人」を読んでいたら山登りがしたくなり、盆休みに高1の末娘と同級生2名を誘った。女子高生が一緒と聞いて私の友人も加わり、秋田市の北にそびえる太平山(1170米)に挑戦した。
かつて登山は貴族や大学生など一部の裕福な人々の趣味で、一般社会人が山に登るようになったのは近年になってからと言われる。こんなムダな暇つぶしはないからであろう。
なぜ山へ登るのか。そこに山があるから、というのは古典的な答えである。新田次郎もこの問題を解いてみたくてこの小説を書いたと述べ、山そのものの中に自分を再発見しようと思って登る、と主人公に語らせている。
山岳信仰の霊峰太平山の頂上には全国三吉神社講の総本宮、奥宮がある。午前8時に登山開始。ごろた石の登山道はきつく、案の定1時間もしないうちに息が上がる。苦しそうな娘に、「後悔している?」というと、短くウンと答える。
10年前からほぼ2年ごとに鳥海山や白神岳、秋田駒ヶ岳など秋田県内の山に家族登山をしてきた。最も付き合いの長い末娘は登り始めるとすぐ、もう嫌だ、帰ろうと駄々をこねるのが常だ。私も疲れてくると、なぜまた登っているのかと内省的になる。4人の子らがいずれ秋田を出る時、秋田の人は酒が強いといわれるだけでは気の毒、せめて県内有数の山に登った実績を積ませてやろうという親心が動機だった。
息も絶え絶えの娘に、「なぜ山へ登るの?」と問うと、「分からない。でもまたお父さんにだまされた」という。なぜ毎度だまされるのか。私の友人が笑う。「2年おきだと、前の苦労を忘れちゃうね」。娘の友人らもうなずいた。
3時間後の11時、やっと狭い頂上に到着。天候に恵まれ360度全方位の眺望は、引き始めた汗と共に爽快である。奥宮に常駐する宮司のお祓いを受ける登山客もいた。弁当を前に自問する。なぜ山へ登るのか。父娘そろって「懲りないから」という答えが幻聴のように返ってきた。