アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.2

自由、平等、友愛 ~職場のメンタルヘルス~

EU統合前のフランスの硬貨には、リベルテ(自由)、エガリテ(平等)、フラテルニテ(友愛)の三つの言葉が刻印されていた。これらは18世紀末のフランス革命期に叫ばれ、今なおフランス共和国では最もポピュラーな標語で、公的建造物などあらゆる場所に掲げられている。日本の七五調に似て響きが良いせいかもしれない。

中でも平等は、人間はすべて生まれ育ちによる差別がない、法の下では平等といった意味だが、今の日本国民のストレスの大きな原因の一つは、様々な面における不平等感かもしれない。裏返しのような悪平等もある。

38歳男性が胃の具合が悪い、仕事がきつい、眠れないと訴えて受診した。帰宅は毎晩10時ころ、日中は現場管理、夕方会社に戻って設計を始める。資格の関係で自分にしか出来ない仕事だから仕方ないが、給与が同じ同僚が毎日午後6時に帰ってしまうのは我慢できないという。どこにも要領の悪い人がいるものである。

職場のメンタルヘルスに関する講演をたまに依頼される。その度にいわゆる「上司」が部下の業務量の不平等に対して鈍感になっていないか、点検を、と話す。病院でも診察する患者数が医師によって大きく違う場合もあり、しかし給与は同じ、となれば人気のある先生は気の毒といわざるを得ない。だがこうした生真面目な人々がこの世の秩序を支えているのもまた事実である。

格差の拡大が募る現代日本。友愛は前総理に安売りされ、デフレ気味の自由は国民の一部をモンスター化し、平等はさらに危うい。せめて常に業務の公平を心がけ、職場のストレスを減らせたら…。苦労も、平等ならかなり辛抱できる。それが人間という生き物であろう。

ハートイン待合室の窓から

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。