近所にジャズを流しながら庭仕事をする爺さんがいる。「部屋のガラス戸を開けて庭いっぱい響き渡るように音量を上げる。色々試したがマイルス・デイビスとウイントン・マルサリスがいい。庭木を縫うように鳴るトランペットを聴いていると、ジャズはやっぱり労働に合うとわかるよ」詩人だねえ。
クリニック待合室にクラシックを流している。きれいな音楽に心が和みますと患者にいわれると嬉しい。始業前にカルテ整理をしながら聴いていたジャズをそのまま流してしまい、粋なクリニックですね、ジャズ喫茶みたいと感心されたこともあった。待合室に閑古鳥が鳴くようになったら喫茶店をやる予定なのだ。
モーツアルトを聴かせると乳牛の乳の出がよくなるという話は有名だが、バイオリニストのジャック・ティボーが動物園の檻の前でフォーレの子守歌を弾いたら、黒ヒョウがうっとり夢見る猫の目つきになり、パガニーニの悪魔のトリルでは逆に興奮したという。音楽“療法”には人と動物の垣根がないらしい。
最近、左側から呼んでも先生は返事をしないことがあると指摘されるようになった。確かにカーステレオの音も左に片寄る。聴く耳を持たないとか、馬耳東風ということでもなさそうなので、意を決して耳鼻科を受診した。診断は突発性難聴。原因は酒の飲み過ぎが半分、騒音性が半分と耳鼻科医は笑う。
若いころからバカでかい音量でロックを聴き、宇都宮のライブハウスでは騒音まみれの日々だった。今でもサンバの打楽器隊でガシャガシャやっている。今後は酒量と音量に要注意と指導を受けたが、難聴が進んだら患者の話を聞く仕事はどうしよう。耳がダメになってから第9を作曲したベート-ヴェンを見習って不屈の精神科医に変身するか、喫茶店に衣替えし、ジャズを流して庭仕事に精を出すか…。初秋の夜、ジャック・ルーシュエのバッハに混じって聴こえる鈴虫の鳴く声が物悲しい。
マイルス・デイビス
サンバ・バテリア(8月17日 秋田県八郎潟町)