アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.20

難聴の秋 ~音楽と耳の戯れ~

近所にジャズを流しながら庭仕事をする爺さんがいる。「部屋のガラス戸を開けて庭いっぱい響き渡るように音量を上げる。色々試したがマイルス・デイビスとウイントン・マルサリスがいい。庭木を縫うように鳴るトランペットを聴いていると、ジャズはやっぱり労働に合うとわかるよ」詩人だねえ。

クリニック待合室にクラシックを流している。きれいな音楽に心が和みますと患者にいわれると嬉しい。始業前にカルテ整理をしながら聴いていたジャズをそのまま流してしまい、粋なクリニックですね、ジャズ喫茶みたいと感心されたこともあった。待合室に閑古鳥が鳴くようになったら喫茶店をやる予定なのだ。

モーツアルトを聴かせると乳牛の乳の出がよくなるという話は有名だが、バイオリニストのジャック・ティボーが動物園の檻の前でフォーレの子守歌を弾いたら、黒ヒョウがうっとり夢見る猫の目つきになり、パガニーニの悪魔のトリルでは逆に興奮したという。音楽“療法”には人と動物の垣根がないらしい。

最近、左側から呼んでも先生は返事をしないことがあると指摘されるようになった。確かにカーステレオの音も左に片寄る。聴く耳を持たないとか、馬耳東風ということでもなさそうなので、意を決して耳鼻科を受診した。診断は突発性難聴。原因は酒の飲み過ぎが半分、騒音性が半分と耳鼻科医は笑う。

若いころからバカでかい音量でロックを聴き、宇都宮のライブハウスでは騒音まみれの日々だった。今でもサンバの打楽器隊でガシャガシャやっている。今後は酒量と音量に要注意と指導を受けたが、難聴が進んだら患者の話を聞く仕事はどうしよう。耳がダメになってから第9を作曲したベート-ヴェンを見習って不屈の精神科医に変身するか、喫茶店に衣替えし、ジャズを流して庭仕事に精を出すか…。初秋の夜、ジャック・ルーシュエのバッハに混じって聴こえる鈴虫の鳴く声が物悲しい。

マイルス・デイビス

サンバ・バテリア(8月17日 秋田県八郎潟町)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。