アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.21

デタラメの難しさ ~フリージャズと連弾~

先日、八郎潟(湖)に近い小さなレストラン「風香庭」で、ジャズピアニスト河野康弘氏のライブがあった。日本にはおよそ600万台のピアノがあり、そのうち450万台は眠っているとされ、そんな「冬眠ピアノ」を蘇らせる「お目覚めコンサート」を彼は20年以上続けている。立派な木材が使われているピアノの寿命は人より長い、森林資源からしても、もったいないと、必要とする内外の人に冬眠ピアノを回す活動もしているそうだ。

河野氏の面目はフリージャズ。学生時代に何度か見た山下洋輔氏のピアノ線を切る熱演を思い出しながら聴いた。懇親会で河野氏は客を右隣に座らせ、小気味よい和音とリズムを刻んで連弾を楽しませてくれた。メロディから解放された素人たちは、彼を真似て拳や肘でも鍵盤を叩く。それがサマになる。私も挑戦し、知ったかぶりの和音を鳴らしたら「ダメダメ。もっとデタラメに!」と注意され、指が痛くなるまで弾いた。だが自分だけでなく、皆さんデタラメに弾いているつもりが、やがてパターン化してしまう。

高等数学では、数字をデタラメに並べることは難しく、無秩序の中に秩序が生じるといわれる。医師は患者に規則正しい生活をするよう指導するが、夜更かしして昼まで寝て、体調が悪いと訴えるのに、そのデタラメ生活を自覚しない人が多い。ともかく、不規則な生活もやがてパターン化する。しかも今の日本では3人に1人が交代勤務、テレビもコンビニも終夜営業、昼夜逆転に違和感がない、不健康な状況である。

フリージャズのピアノ連弾は、デタラメに鍵盤を叩く素人が放蕩息子、伴奏するプロがそれを見守る親を連想させた。国家と、権利ばかり主張する一部国民、逆に、勤勉な国民と、それに支えられている政府との関係にも似ている。昼夜逆転を改めず、先生の顔を見ると安心、などと言いながらさっぱりお目覚めしてくれない患者たちが、今日も外来を賑わす。

河野康弘氏

「風香庭」で挨拶する筆者

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。