夕べは何していたの? Where were you last night? そんな昔のことは覚えていないね。That’s so long ago, I don’t remember 映画カサブランカのラストシーン。ハンフリー・ボガードが口にする有名なこの台詞、昨夜の記憶がないのは認知症というわけではない。別れを前にした照れ隠しである。
もの忘れが異常に速く進むのが認知症だが、正確には覚え(記銘力)の悪さが先行する。覚える気もないのに勝手に記憶してしまうのが記銘力で、試験勉強のように特定の事柄を覚えようとしてなかなか覚えられないのは病気と違う。
取引先や町内など500件以上の電話番号を記憶していて、番号案内より便利な知人がいる。別に努力したのではなく、何となく覚えたという。田中角栄元首相は会った人の顔と名前を一度で記憶したといわれ、大相撲協会の北の湖理事長も自分の取り口は克明に覚えていると聞く。野生動物が外敵や食糧難から身を守るためには、こうした記銘力と、近い過去から学び判断する能力は大切で、原始社会でも、もの覚えが悪いヒトは苦労したはずだ。
まだ文字がなかった大昔は語り部が口伝えで大切な事柄を後世に残した。秘伝奥義の類も漏洩を恐れ、後継者の頭に直接記憶させた。世界初の麻酔を行った華岡青洲は、詳細な知見を書物や弟子に残さなかったため彼一代限りとなった。
ところが、文字情報があふれ、ネットで何事も済ませられる現代では、記憶より検索技術がモノをいい、パソコンを使うようになって漢字を忘れたという人も多い。屈強な運動選手も骨折で1か月間ギプスをしておくと、廃用性萎縮で筋肉が激減する。現代は、人類のもの覚え能力が廃用性萎縮に向かっている時代なのかもしれない。
「今夜、あえる?」「そんな先のことは分からない」こんな会話が続くカサブランカの極めつけは「君の瞳に乾杯」。ちょっと先を予測できない不安も記銘力障害の特徴だが、昨今は、国の政治にお手上げ、であったか。
映画「カサブランカ」の1シーン
角館武家屋敷の銀杏