アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.33

能代おなごりフェスティバル ~パレードの味~

東北の代表的な夏のお祭りを一堂に集め、市内大通りを往復2時間パレードする9月の能代おなごりフェス。青森ねぶた、秋田竿灯、花輪ばやし、酒田ばやし、地元中学生の能代七夕、盛岡さんさ、仙台すずめ踊り、それに浅草カーニバル横浜サウヂ(ブラジル人女性らダンサー10名と打楽器隊バテリア20名)など11団体、2500名が今年も出演した。人口7万人の能代に27万人の観客である。

縁あって5年前から客ではなく“出演者”の1人 として横浜サウヂに参加している。その演奏レベルは凄まじく、今年も楽器はあきらめ世話係のアルモニア。先頭の旗持ちポルタ・バンディラに続くダンサーと、最後尾のバテリアや歌手との距離は伸び縮みする。隊列全体の運行を統括する監督ヂレトールは目立つように衣装もド派手。過去2回やった。運悪くそんな主治医を見つけた患者は目が点になる。

26年の歴史を誇るおなごりだが、昔から批判はあった。基幹産業の林業衰退や人口減に悩む中、金のかかるバカ騒ぎが地域活性化に寄与するのか…。実際、年々予算はひっ迫、存続の危機が叫ばれている。しかし一方で「このダイジェスト版を見て本場の祭りに出かけた」という人は多い。

こうした事情をよそに出演常連の楽しみは慰労会である。今年も300人超がホテル大広間に集まった。舞台に地元スタッフ陣が上ると労をねぎらいフロアから大きな拍手。続いて各団体が芸を披露する。仙台チームはIOC総会を再現、7年後のおなごり会場に立候補したマドリード、能代、イスタンブールから、ロゲ会長役が恭しくカードを裏返すと、「2020能代」。サウヂのバテリア超絶技巧に全員総立ちで踊り、青森ねぶたでは床が抜けそうなまでに跳ね、0時を過ぎる。来年も会おうと握手を交わして2時間半の宴は終了した。

ロンドン五輪メダリストたちの銀座パレードでは沿道を50万人の観客が埋めた。それが、私ごとき小市民が27万人の中を…。乞食と芸人は3日やったらやめられないとはよく言った。

能代おなごりフェスティバル

筆者

懇親会

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。