アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.35

飲みの型 ~清酒を見直す~

「だれだ?」「秋田だ!」―秋田県のPRポスターが首都圏など世間様を騒がしている。そこで私が編集長をしている医師会報でも、「だれだ?」「酒飲みだ!」と題して原稿募集した。ある秋田の酒に惚れ、その酒蔵に近い病院に他県から赴任した医師、70代半ばから晩酌は自然消滅したが会合では回春し飲み過ぎてしまう80歳の医師、エタノールアレルギーのため手術前の消毒で手が赤くなる外科医など、新年号らしい随想が集まった。

9月、仙台の「オクトーバーフェスタ」に出かけた。会場はテニスコート2面ほどの巨大仮設テント。ドイツ人のアコーディオンや金管の楽隊が演奏を始めると数百人の客席も手拍子で乗る。楽隊は時々「アイン、ツバイン、ドライ、ツファ、プロスト!」と声を励ますが、ミュンヘンのビアホールで見かけたあの踊りの輪ができない。東北人では仕方ないか。

意を決し、自ら「80才の小料理屋の女将」と名乗り頬を赤く染めた隣のお姐さんを誘った。ところが彼女は、若い方がいいでしょと向かいの女性に声をかけた。75才だった。2人で踊り始めると周囲から歓声と手拍手。呼応して続々と立ち上がり、やがて前の人の肩に両手を置いてパレードになったり、ステージを囲んで踊ったりと会場は興奮のるつぼと化した。最初に踊ったあんたはエライと見知らぬ客がジョッキを持ってくる…。

日本酒は消費が激減し、しかも今の若者には高価なイメージという。私が愛飲する秋田清酒「やまとしずく」1升1800ml純米吟醸2500円を、1本750mlのワインに換算すると約1000円。味は、防空識別圏みたいに危ういこの価格帯のワインよりずっと安定している。

酒飲むは時間のムダ、飲まぬは人生のムダという。若者の酒離れは人生離れ?に通じているという人もいる。若山牧水は、秋の夜は静かに飲むべかりけりというが、老若男女がビアホールで陽気に歌い踊って飲むならば、時間のムダも人生のムダもちょっぴり中和されるような気がしないでもない。

秋田県立小泉潟公園・水心苑(林泉回遊式日本庭園)

やまとしずく(通称ヘト点)

まもなくハタハタの大群が押し寄せる男鹿の海

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。