アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.37

雑務の達人 ~理想的な境遇を想定しない~

都内の某医師会報に「裁判の達人」と題するエッセイが載っていた。それによると達人になるためには2つのコツがあって、1つはトラブルに煩わされない理想的な境遇は想定しないこと、もう1つは、訴えられているのが常態と思うこと。これで面倒な裁判も楽しめるとある。「訴えられているのが常態」はともかく、「理想的な境遇を想定しない」には考えさせられた。

先日、秋田県自殺予防ネットワーク会議というものがあり、そこで次のような事例が報告された。仕事から帰って来た夫がそのまま自室に行き、まもなく、「かあさん、やってしまった」と空き瓶を持って居間に現れ、崩れるように倒れた。そして、すまないと妻に言い残して意識を失い、病院に救急搬送されたが息絶えた。瓶の中身は農薬だった。

自殺の多くは未遂の失敗で、未遂は既遂の約10倍、計画性のない衝動行為が多いという見方がある。この事例も衝動性が強く推測されるが、故人の背景を聞いてなるほどと思った。彼は中規模の会社を経営しており業績は悪くなかった。だが社長の他に町内会長、消防団団長、商工会役員、神社の氏子代表など地域の名士としても多忙だった。町内で問題が発生すると住民が訴えに来る。消防団は団員の減少、長引く不況で商工会と神社の運営も厳しかった。弔辞を聞いて故人が置かれていた立場の全体像を知り、葬儀の参列者らは絶句したそうだ。こんな人ならきっと「トラブルに煩わされない理想的な境遇」を夢見ていたに違いない。

日本人の年間死亡者数は現在120万人。ほとんどが病院で亡くなり、斎場も順番待ち。160万人に達する20年後は死に場所の不足も深刻となるため在宅医療の推進が叫ばれている。一方、自然災害や新型インフルエンザの発生を想定し自治体は地域の医師会と協定を結ぶのに熱心だ。間に立つ医師会長は「理想的な境遇を想定しない」どころか、ますます雑務の達人にならざるを得ない。うちの会長さんも皆で支えないと、そろそろヤバイ。

男鹿潟上南秋医師会の医聖祭

(左から)ジェンナー、神農、ヒポクラテスの3本の掛け軸を拝む

今年も無事の診療を祈って懇親会

うちの医師会報(筆者が編集長)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。