都内の某医師会報に「裁判の達人」と題するエッセイが載っていた。それによると達人になるためには2つのコツがあって、1つはトラブルに煩わされない理想的な境遇は想定しないこと、もう1つは、訴えられているのが常態と思うこと。これで面倒な裁判も楽しめるとある。「訴えられているのが常態」はともかく、「理想的な境遇を想定しない」には考えさせられた。
先日、秋田県自殺予防ネットワーク会議というものがあり、そこで次のような事例が報告された。仕事から帰って来た夫がそのまま自室に行き、まもなく、「かあさん、やってしまった」と空き瓶を持って居間に現れ、崩れるように倒れた。そして、すまないと妻に言い残して意識を失い、病院に救急搬送されたが息絶えた。瓶の中身は農薬だった。
自殺の多くは未遂の失敗で、未遂は既遂の約10倍、計画性のない衝動行為が多いという見方がある。この事例も衝動性が強く推測されるが、故人の背景を聞いてなるほどと思った。彼は中規模の会社を経営しており業績は悪くなかった。だが社長の他に町内会長、消防団団長、商工会役員、神社の氏子代表など地域の名士としても多忙だった。町内で問題が発生すると住民が訴えに来る。消防団は団員の減少、長引く不況で商工会と神社の運営も厳しかった。弔辞を聞いて故人が置かれていた立場の全体像を知り、葬儀の参列者らは絶句したそうだ。こんな人ならきっと「トラブルに煩わされない理想的な境遇」を夢見ていたに違いない。
日本人の年間死亡者数は現在120万人。ほとんどが病院で亡くなり、斎場も順番待ち。160万人に達する20年後は死に場所の不足も深刻となるため在宅医療の推進が叫ばれている。一方、自然災害や新型インフルエンザの発生を想定し自治体は地域の医師会と協定を結ぶのに熱心だ。間に立つ医師会長は「理想的な境遇を想定しない」どころか、ますます雑務の達人にならざるを得ない。うちの会長さんも皆で支えないと、そろそろヤバイ。
男鹿潟上南秋医師会の医聖祭
(左から)ジェンナー、神農、ヒポクラテスの3本の掛け軸を拝む
今年も無事の診療を祈って懇親会
うちの医師会報(筆者が編集長)