91歳の母親を亡くしたが、老人施設の対応に腹が立って眠れないという初老の男性が受診した。母親は5年前から認知症のため施設に入っていた。最近、頻尿のためか落ち着きがなく、施設ではベッドに転落防止柵を使っていた。柵で囲うのは母の尊厳を損なう、はずしてくれと彼は主張していた。そんなやり取りの最中に転落し、大腿骨骨折で入院した。病院では、超高齢の認知症と衰弱から手術には消極的で、そのうち肺炎を併発して死亡した。
施設も病院も許せない、訴えたいと大粒の涙を流す男性は、自分の症状よりこの件で私に意見を求める。彼の言い分を鵜呑みにはできないし、施設と病院の肩を持つこともできない。困った顔も出来ないし、分かったふりも出来ない。逃げ場もない。ないない尽くし…。
そんな折、会津出身の医師と飲む機会があった。150年前に会津は朝敵の汚名を着せられ、薩長に人も土地も蹂躙され、死んだ藩士の埋葬さえ禁じられ、不毛の下北半島へ追放され多くが餓死した、この恨みは今なお続くという。話のレベルは違うが、母親が虐待されたと思い込み、親を守れなかった悔いも残る患者の気持ちに、関係者は親切に対応すべきとアドバイスしてくれた。
1週間後の外来。男性の不眠や抑うつ気分はかなり改善したが、施設と病院への非難は変わらず、私に同意を求める。私も前回同様、拝聴するにとどめた。だが3回目の受診で少し様子が変わった。もしベッドの柵を外せば母親はもっと早く骨折していたかもしれない、手術をすれば却って寿命を縮めていたかもしれない、事故と死亡の因果関係も絶対とは言えない、骨折も肺炎もお迎えだったかと思えるようになったという。相談した弁護士の影響もあるようだ。
介護も医療も、訴訟では結果責任より努力責任が重視される。このケースではその後の関係者の対応がよく、患者も冷静になれた。だが時々、そろそろお迎えかといった老親を総合病院に入院させたいという家族もいて、介護現場の苦悩は尽きない。
男鹿半島なまはげ柴灯(せど)祭り
冬の八郎湖(八郎潟干拓の残存湖)
八郎湖畔の枯ススキ