昨年、反原発運動をしているという人から電話があった。福島の被曝問題について話を聞きたい、医師として運動にも参加もしてほしいという。
自治医大の学生時代、胃バリウム透視検査は遠隔操作で学んだ。ところが研修医となった昭和54年当時、秋田大学消化器科の医師たちは防護服を着てレントゲン室に入り、患者の腹を直接手で触れてやっていた。強面の講師は、指の爪が放射線で褐色になって1人前とおっしゃる。東京の大学を卒業してきた同期の女医は仰天し、皮膚科に研修先を変えてしまった。私は県職員なので逃げられない。
やがて地方の病院に赴任した。ここなら遠隔OKだろうと思ったが、甘かった。遠隔操作台に向かった初日に科長は大学の講師と同じことを言う。やむなく防護服を着た。
そのあとのことである。仕事を終えてレントゲン室を出たら、「先生、お話があります」と放射線技師長と技師4人が立っていた。いわく「これまでも遠隔操作でやろうとした先生がおりましたが、科長の反対で全員あきらめました。私たちは先生を支持します。初心を貫いて下さい」。被爆に関しては技師たちの方が問題意識が高かった。
こうまで言われて断念したのでは男がすたる。翌日から私は遠隔にした。1週間後、技師たちがニヤニヤしている。「先生の抵抗、大成功。科長も遠隔に切り替えましたよ」
東大卒の海軍将校だったある元市長さんは、広島市内であのキノコ雲をまる一日眺めていたというが、85歳の今も合唱団で歌っておられる。爪の講師も科長も私も、さらに胃透視草創期に著しく被爆した今80代の医師らも結構長生きしている。
「原発問題は人類の科学史から見れば新エネルギーの開発で解決する、あわてるなという吉本隆明のような哲学者もいるし、子供の放射能検出率は低いのに風評被害率の方が高いという科学者もいて、ややこしいですね」と言ったら、医師がその程度の認識でよいのかと電話の主は怒り出した。面目ないが、事実だから仕方がない。
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