嵐がどこの岸辺に私を吹き寄せても、私はそこの客になる…。去る5月23日、東京すみだトリフォニーホールでフジコ・ヘミングのピアノを聴きながらふと、古代ローマ時代の詩人ホラティウスの一節を思い出した。スウェーデン人の画家を父に、日本人のピアニストを母にベルリンで生まれたフジコは、5才から日本に住むようになった。しかし、ドイツに留学する青年期まで無国籍だったという。日本では「女三界に住む処なし」というが、フジコ自身、「この地球上で私の居場所はどこにもない」と述べているそうだ。
昨年12月にパリを訪れた私の長女は、私が学生時代にパリでご厄介になった画家トモコ・オベールに親子2代にわたって?お世話になった。市内を一緒に散歩していた折、街角のカフェで一服しているフジコに娘が気付いた。許可を得て同席した娘はリストやショパンの話をたっぷり伺い、「奇跡が起こった!」と興奮した様子でメールを寄こした。私も仰天した。その縁でトモコはビオスHP「パリ通信」でフジコを取材することになり、ビオス社長から来日公演の報が私に届き、在京の長女と次女を引き連れ、出かけたという次第である。
1932年生まれのマエストロは、おいらん風の衣装をまとい、悠揚迫らざる足取りでステージに現れた。「風邪薬を飲み過ぎてふらふらです」と挨拶の声はかすれていたが、彼女のCDは全部持っているというある知人は、「ヨーロッパ文化を山紫水明で表現する演奏」とうまいことを言っていた。
最後にヒゲおじさん(弟さん?)が立ち、「人生は1回きり。明日はどうなっているか分からないんだ」と叫んでアンコールを促し、満座の客から大拍手。バッハのアリアが静かに終わると、オ・モ・テ・ナ・シの滝川クリステルさんも登壇し、ペットたちの小さな命を救うために支援をと訴えた。「ピアノは猫たちを食わせるための道具」と人を食ったようなフジコの言葉もあるが、寄る辺のない存在ともいえるペットたちを大きく包み込むような演奏は、獣医学部を目指す3女にもいい土産話となった。
イングリット・フジコ・ヘミング ジャパンコンサート ポスター
パリのカフェで(右からフジコ、トモコ、娘)
会場のヒゲおじさん