アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.44

盆踊り ~若者、バカ者、よそ者が地域を活性化する?~

秋田3大盆踊りのうち羽後町の西馬音内(にしもない)盆踊りと鹿角市の毛馬内(けまない)盆踊りは客と踊り手が全国から押し寄せるので有名だ。残る1つは我が家から電車で北へ10分の八郎潟町一日市(ひといち)盆踊り。今年も8月18日から3日間開催され、私も参加したが、近隣住民が踊るだけで全国的な知名度はやや低い。だが特徴がある。

1つは奇抜な衣装などで仮装すること。もう1つは町内会や中学生の部活など各種団体が声を揃えて「歌いながら踊る」ことだ。~デンデンジコジコ~盆の13日正月から待ちた、待ちた待ちた13日、今来たか~「デンデンヅク」「キタサカ」「三勝」の3つの踊りが夜8時から10時まで続く。

6年前、友人の歯科医らが協賛者を募って17日に前夜祭を始めた。フラダンス、ベリーダンス、ボリビアダンス、ブラジルダンス、フラメンコ、秋田音頭と続き、取りはサンバ。打楽器隊バテリアは私たち秋田在住者で、浅草カーニバルの派手なダンサーとけたたましい音で会場は興奮のるつぼと化す。サンバチームは商店街を1時間パレードもする。

人口減で盆踊りは全国的に減っていると聞く。秋田の詩人あゆかわのぼる氏は、「地域を元気にするのは若者、バカ者、よそ者」という。確かに前夜祭を発案した歯科医も私も八郎潟町出身ではない。同町には盆踊りの他に「願人(がんにん)踊り(国文祭秋田2014の目玉)」や「路上ミュージカル(昨年20年の歴史を閉じた)」もあり、いずれも実行委員会の中心は若者。7月の土崎湊祭、9月7~9日の角館曳山(やま)ぶっつけも祭りバカの丁内若衆が仕切り、他地域の祭りと比べ高齢者の関与が薄い。その分、運営も柔軟である。

誘致企業と共に移住してきた江戸っ子の友人は、「還暦前後の我々よそ者が祭りバカに交じって汗を流すのは、ここで楽しく暮らしたいから」と言うが私も同感だ。今年は盆踊りで初の2等賞と賞金をゲット。大胆な仮装にも拘らず「先生、がんばれ!」と何人もの患者に声をかけられた。こんな精神科医を翌日、何食わぬ顔で受診するから世の中わからない。

前夜祭サンバ

前夜祭全員集合

一日市盆踊り

2等賞ゲット!(左が筆者)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。