20代後半の数年間、私は宇都宮のライブハウス「仮面館」に入り浸り、ついには「仮面館通信」の編集を手伝った時期もあった。秋田に帰り初期研修医を終えた頃、仮面館時代の友人を熊本県水俣の「相思社」に訪ねたことがある。相思社は水俣病裁判闘争の拠点として、患者支援を中心に多彩な活動をしていた。
相思社からやや遠くの小高い丘に不知火海(水俣湾)や天草諸島がよく見える「乙女塚」がある。演劇家の砂田明らが水俣病の犠牲となった全ての生類を慰霊するため1981年に創設した。石牟礼道子の『苦海浄土』を脚本化した「海よ、母よ、子供らよ」を砂田は80年6月に仮面館で演じている。乙女塚のための「勧進興行」で、蝋燭の灯りの中、能面をつけた熱演に圧倒された。
水俣を訪れた翌日は相思社の祭りだった。運ばれてきた山盛りの刺身はあっという間に消え、続々と幾らでも出てくる。米焼酎を飲んでいたら、裁判闘争の指導的人物で患者でもある川本輝夫が私のコップの中身を捨て、米じゃ水俣は分からんと芋を注いでくれた。砂田の科白に、「かかよい(妻よ)、飯炊け、おる(俺)が刺身とる」とあるが、同じ刺身を食べた水俣市内の住民が何ともなかったのに、この周辺の猫や住民に発症が集中したのは食う量が桁違いだからではないかと思ったものだ。
この10月4日、宇都宮で『短い祭りの終焉~』(アートセンターサカモト)の出版記念会があった。74年に仮面館を開店、98年に58才で亡くなった野添嘉久の妻すみが著した。子育てより70年安保闘争の若者らの世話で忙しい店のママだった。膨大な資料から丁寧に歴史を綴っている。仮面館は音楽を中心とするお祭り騒ぎライブの他に、水俣病や足尾銅山鉱毒問題など公害に関する勉強会を開き、無農薬栽培による水俣の産品販売もするなど何事もライブ調であった。数十年ぶりの彼らは社長やNPO代表、議員など結構な肩書で、みな若々しい。
医師国家試験を落第し続けた2年目の春、仮面館に行くと、「帰れ、佐々木、帰れ、勉強!」と安保反対みたいなシュプレヒコールで門前払いされた。当時はクソと思ったが、仮面館が82年5月に閉鎖する前年に受かって帰郷できたのは彼らのお陰である。落第の原因も…。
野添すみさんと筆者
昔の若者たちと筆者(右から2番目)
昔の若者たち
仮面館通信
『短い祭りの終焉-ライブハウス仮面館-』(1500円+税)
- 著 者:
- 野添すみ
- 発行所:
- 有限会社アートセンターサカモト 栃木文化社ビオス編集室
- 〒320-0012 栃木県宇都宮市山本1-7-17
- TEL:028-0621-7006 FAX:028-621-7083
- E-mail:artcenter.sakamoto@rapid.ocn.ne.jp
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