10月に秋田市文化会館で麿赤兒主宰の大駱駝艦公演「灰の人」があった。人気の麿氏に著名舞踏団とあって超満員だったが、これも「国文祭あきた2014」という国家事業のおかげである。全身の白粉、厳粛と滑稽とスリリングな舞台に興奮し立ち上がって拍手する客もいた。
会場地階では暗黒舞踏の先駆者とされる秋田出身の舞踏家「土方巽」展も開かれていて、土方の一文が目を引いた。「西洋のバレエはトゥシューズによって肉体のバランスの危機を作るが、素足の舞踏では肉体そのもので危機を作り出す」といった内容である。靴を履いたバレエの危機とは片脚立ちで、それが演技者の姿態を美しく見せる。一方、日本の舞踊や手踊りはそもそも素足や二の腕は見せない。土方はこれらに対し、日本人特有の肉体に新たなダンスの基盤を創ろうとした。
1981年5月、宇都宮のライブハウス仮面館で「彼岸の舞踏者たち」と銘打ち、下田誠二、ギリヤーク尼ケ崎、遊夜による3夜連続公演を企画したことがある。彼らは足元をゆらゆらさせながら徐々に肉体を解放し、床をのたうち、けいれんし、ついには肌着も脱ぎ捨ててしまった。最終日に我々スタッフは、「三日三晩オチンチン見ちゃった」と嘆息したものである。
今年9月の秋田県能代市「おなごりフェステバル」でまた浅草カーニバル・サンバの裏方を務めた。興奮の嵐が吹き荒れる中、写真担当の若い女性が言う。「ブラジルと日本のダンサーではお尻の高さが全然違いますね。私はやっぱり浴衣で盆踊りかな」。体格の違いはいかんともし難い。土方も弟子の麿氏もその辺が出発点だったのだろう。確かに日本人にはどじょう掬いやモッコ担ぎが似合う。私の周囲には酒席で手踊りや男の願人踊り、時に(暗黒)舞踏を披露する女性もいるが、お座敷にはぴったりで、要は胸騒ぎの腰つきなのだ。
それにつけてもサンバダンサー11名勢ぞろいは壮観。しかも数名は秋田の盆踊り大会で入賞までした。尻上がりの活躍と体格の大和撫子が明日の日本をリードしてくれるか、師走の総選挙。
大駱駝艦パンフ
藤方巽展パンフ
能代おなごりサンバダンサー
サンバとすれ違う仙台すずめ踊りの一団は気もそぞろ