まだ雪が残る2月半ば、私が校医をしている近所の羽城中学校(潟上市)からすぐ裏の高台にある元木山公園までジオン(チワワ3歳)と歩いてみた。およそ9分。4年前にこの学校では同じルートで2回の避難訓練を行った。最初は校庭に生徒を集め一斉に元木山へ向かわせたら6分半。次は校内放送で避難を指示し好き勝手にさせたら5分弱。1分半もの違いに教師らは驚いたという。
4年前の3.11大震災。宮城県石巻市のある学校では校庭に生徒を整列させるなど対応に手間取り被害を広げた。一方、岩手県釜石市のある学校では集合などせず「てんでんこ」に避難させほぼ全員が助かった。この話から羽城中学校では震災後まもなく、「てんでんこ」の効用を実証したのである。学校保健会でこの話を聞いた私は大いに頼もしく思ったものだ。
古代ローマでもわが国の戦国時代でも、戦争は兵士を整然と配置する陣形を取ってから行った。だが負けそうになると「蜘蛛の子を“散らす”ように」てんでんばらばらに逃げるのが昔から一般的だったようである。もっとも「殿(しんがり)を務める」という言葉があるように、軍隊の最後尾で敵から味方を守る任務も存在したことから、退却の方が難しい局面も多かったに違いない。
少し意味は違うかもしれないが、天皇と皇太子が同じ飛行機に乗らないのは、万が一の場合に血脈を守るためと聞く。だが昔から叫ばれている首都機能の移転が実現しないのは、万一のことがあっても政治家や官僚の代わりならいくらでもいると皆が考えているからだろう。
東京大空襲で被災し、「秋田の方が安全だから」といわれて帰った実家の秋田市土崎でまた空襲にあい、「今風に言えば米軍はストーカーだった。私は運の悪い女」という老婦人がいた。生きているのだから不運でもなさそうだが、三十六計逃げるにしかずとは言え、退脚や避難の見極めは難しい。何はともあれ、魚を盗んで一目散に逃げる猫の姿が一番スマートのような気がする。
元木山公園登り口(向こうに羽城中)
公園登り口の標識
ジオン君特訓中
出戸浜海岸から羽城中まで約5Km