芸術家という生き物は常識に挑戦するのが本業のようである。演劇、音楽、絵画はむろんで、サルバドーレ・ダリなどは、「銀行員が客の小切手を食べてしまおうと思い付かないのは驚きだ」と述べ、意味深な作品を多数残した。ベンチャー起業家も同様だろうが、逆に能や文楽など古典芸能は伝統を大切にし、政治行政となると常識と非常識の境目が曖昧である。
医療は案外保守的かもしれない。知識や技術の高度化により専門医を目指す(しかない)のは、医師側のいわば防衛で、何でも診る総合医は赤ヒゲ医者への回帰、医療ルネッサンスと言えよう。いずれにせよ、画期的な医療はあっても、常識破りは難しい世界である。
東日本大震災の医療救護活動も一段落ということで、先日、現地に赴いた医師たちの報告会があった。注目を集めたのが「心のケア・チーム」の話。避難所に行ったら玄関で拒否されたチームもあったという。日替わり医師に声をかけられても心は開けない、精神科医療への偏見などが主な理由のようだったが、真相は不明だ。
そこで鼻息を荒くしたのが古参の精神科医たち。人目をはばかると言って精神科を心療内科、メンタルクリニックなど耳触りのよい名称に変え、それが被災地ではこの体たらく、襟を正して「精神科医療チーム」と名乗った方が被災者も覚悟できたのではないか、心のケアなどと称して満足しているのは固定観念だ…。耳が痛い。
裏の畑で蕪を掘ってそのまま食べる近所の4歳児。親の注意も無視。爺さんが「蕪は洗ってテーブルで食うというのは大人の固定観念だ」とかばい続けたら孫は蕪をコテカンと呼ぶようになった。確かにその畑のコテカンは美味い。パン屋はパンを焼き、芸人は芸を見せ、幼児はダリのように固定観念を食うのが本業のようである。
初夏の日本海
秋田駒ケ岳チングルマ