終戦直後の昭和20(1945)年8月28日、米空軍B29が秋田県大館の花岡にあった米軍捕虜収容所へ食料投下のため飛来し、「なまはげ」の地、男鹿半島の真山に激突炎上した。付近住民が駆けつけ生存者1名を発見したが、言葉が通じない。「北浦のあの若者なら頭もいいし医者の学校に行っている」ということで呼ばれたのが、当時19歳の鹿嶋幸治先生である。
鹿嶋先生は晩年まで地域医療に尽力され、「男鹿の神様」と住民に慕われた。墜落現場に呼ばれた逸話も半島では有名で、現在、私が編集長をしている「男鹿潟上南秋医師会報」も昭和63年に先生が創刊された。平成12年師走に急逝される少し前の編集会議で、「墜落現場でどんな英語を話したのですか」と尋ねたら先生は一言、「ワッツァネイム?」
今「ジョン万次郎の英語」という本が話題である。4年後の東京五輪に向けた英会話本だが、ローマ字読みで英語教育を受けた私の世代の英語とはかなり違う。私は水を「ウオーター」と学んだが、米国人に囲まれ耳で覚えた万次郎の英語では「ワラ」、同じく「イコール」も万次郎では「イークワリィ」である。しかも私の習った英国英語と今の米語の発音はとても同じ英語とは思えない。
40年前、米ニュージャージー州でアイスクリーム屋に寄ってそれを思い知らされた。店には7種類のアイスクリームしかなかった。私が「バニラ」と注文すると「ワッ?」という。何度か繰り返したが、店主は面倒になったのか指差せという仕種をする。だが商品は僅か7つ。こっちもヒマだ。「バニラ、バニラ」と粘ったらやっと「ビャニーラ?」と笑顔を見せた。
ある恩師は国の給費留学生としてパリ大学で研究していたころ、仕事でうまくいかないことがあって落ち込んでいたら「ぼんくら!」と友人のフランス人医師にいわれ肩を落としたという。ボン・クラージュ、がんばれといった意味だと分かって安堵したそうだが、発音問題はことほど左様に厄介である。
平成2年5月、B29墜落で唯一生き残って「ワッツァネーム?」と鹿嶋先生に問われたノーマン・H・マーチン氏が男鹿を訪れた。そして亡くなった米兵11名のため現場付近に慰霊碑を建立した。再会した2人の会話の様子は、残念ながら共に草葉の陰におられ、今となっては推し量る術もない。
B29遭難慰霊碑(男鹿半島真山は自衛隊レーダー基地でもある)
鹿嶋幸治先生 H12年9月 現役引退記念写真(手前の眼鏡のじいさん)