行ってきますと家を出て、ちんけなポリ公にパクられて、手錠かけられ意見され、着いたところは裁判所…安保反対時代の裁判所はこんなものだったが、先日「証人」として出廷した。内容は書けない。
長すぎた栃木での学生生活を終えて秋田に帰る1981年の2月、宇都宮のライブハウスでよく酒を飲ませてくれた弁護士の藤田勝春先生から、「自治医大の卒業医師に参考になりそうな裁判がある。事件の裏にナニで、明日は女も登場する」と勧められ、翌日、裁判所へ行ってみた。
事件は、宇都宮から90キロも離れた超へき地の公的診療所の初老医師が薬屋と結託し、医薬品納入価を通常より高く設定して差額分を裏金で得ていたものだった。傍聴席に座ると弁護士席の藤田先生は顎でその女性をさす。なるほど美人である。医師は彼女に貢いでいたのだった。おかげで私はあの被告のようなドジは踏まずに還暦も過ぎた。
だが怪しいことがゼロだった訳でもない。ある病院で副院長をしていたころ、院長が長く病欠し院長代行となった。病院が新築計画中だったため頻繁に会議がある。ある暑い夏の昼下がり、「副院長、役所から今日の夕方、急ぎの相談があると電話が…」と事務長。ともかく一緒に出かけた。人目につかない小料理屋には馴染みの市職員が2名。「院長が病気で先生も大変だ。ご苦労様!」と生ビールで乾杯。だが世間話に終始し、これが官官接待かと訝りながら飲んだ。
別の病院では、古書店で注文した文学全集が病院に届くと事務員が「精神科の専門書ですね」と代金を上司からせしめてきた。もっと若いころ、ある病院で事務長に誘われ飲みに行ったら、彼は店で領収書をもらうだけ、タクシー代もチケットを切るだけ、我々若い医師も懐が痛まない。公費天国だった。
翻って、私は今や経営者である。勉強会の帰りに若手医師らを居酒屋に誘い、領収書を持ち帰っても金庫番の配偶者は、これは接待にならないといい、数万円もする画集をネットで購入しても、仕事に関係ないと却下。いくら「病跡学」研究用と話しても通らない。この石頭は税理士事務所の手先、税理士は税務署の手先である。フランスでは「脱税しない奴はアホ」といわれるそうだが、私は裁判所どころか、納税が趣味になってしまった。全く嬉しくない。藤田先生、どう思われます?
男鹿半島の夕暮れ
出戸浜海岸から男鹿半島を望む
男鹿半島の夕暮れとカモメ