アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.7

フェルメールを見て ~当て外れと潜在意識~

たまたま訪ねた京都で17世紀オランダ絵画展「フェルメールのラブレター展」を見た。庶民が本格的に画布に登場する時代の幕開けで、手紙を書いたり読んだりする人々がスポットライトを浴びたように描かれている。ふとユリウス・カエサルの言葉を思い出した。人間は自分が見たいものしか見ようとしない…。

「画家は描きたいものしか描かないが、写真には意図しないものまで写ってしまい、それがアリバイになることもある」武家屋敷で有名な角館(秋田)に在住の写真家、千葉克介氏はこうおっしゃる。

近所の素人写真家たちが時々自信作を持ってくる。だが後ろに聳える山、手前の草花の名前を尋ねてもたいてい答えられない。狙った対象にしか興味がないのだ。その点、プロの写真家は写っている総てに詳しく、民俗学にも造詣の深い方が多い。

研修医のころ指導医によく注意を受けた。胃潰瘍を疑って内視鏡検査を行い、潰瘍を発見して、これでよし、と安心していると傍の小さな早期胃がんを見落とすことがあると。CTやレントゲン写真など画像診断でも医師には説明責任があり、見落としたら大変と私は毎度恐怖にかられる。

もっとも、見たいものだけを見、言いたい事だけを言って務まるなら、その人は幸いである。言い間違いには意味があるとフロイトは書いたが、見込み違いも同様で、今の政府には当て外れとぼやく人々の潜在意識は、ま、そもそも期待が大きすぎたから落胆も大きい、といったところか。芸術も政治も研ぎ澄まされた「筆舌」が命だ。

ハートインクリニック待合室と千葉作品

フェルメール

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。