たまたま訪ねた京都で17世紀オランダ絵画展「フェルメールのラブレター展」を見た。庶民が本格的に画布に登場する時代の幕開けで、手紙を書いたり読んだりする人々がスポットライトを浴びたように描かれている。ふとユリウス・カエサルの言葉を思い出した。人間は自分が見たいものしか見ようとしない…。
「画家は描きたいものしか描かないが、写真には意図しないものまで写ってしまい、それがアリバイになることもある」武家屋敷で有名な角館(秋田)に在住の写真家、千葉克介氏はこうおっしゃる。
近所の素人写真家たちが時々自信作を持ってくる。だが後ろに聳える山、手前の草花の名前を尋ねてもたいてい答えられない。狙った対象にしか興味がないのだ。その点、プロの写真家は写っている総てに詳しく、民俗学にも造詣の深い方が多い。
研修医のころ指導医によく注意を受けた。胃潰瘍を疑って内視鏡検査を行い、潰瘍を発見して、これでよし、と安心していると傍の小さな早期胃がんを見落とすことがあると。CTやレントゲン写真など画像診断でも医師には説明責任があり、見落としたら大変と私は毎度恐怖にかられる。
もっとも、見たいものだけを見、言いたい事だけを言って務まるなら、その人は幸いである。言い間違いには意味があるとフロイトは書いたが、見込み違いも同様で、今の政府には当て外れとぼやく人々の潜在意識は、ま、そもそも期待が大きすぎたから落胆も大きい、といったところか。芸術も政治も研ぎ澄まされた「筆舌」が命だ。
ハートインクリニック待合室と千葉作品
フェルメール