アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.71

朝ごはんと常識 ~大隅良典教授のノーベル賞~

秋田県の小中学生は全国学力テストで毎年トップクラスである。なぜだろうと色々な人々が来県し、授業を視察している映像が時々テレビに流れる。だが、トップの座を守るため教師らの苦労は大変らしく、当院を受診する先生も少なくない。

私がPTA会長をしていたころ、ケータイによる中学生の夜更かしが問題になり始めていて、秋田県PTA連合会の標語は「早寝早起き朝ごはん」だった。それでも学力テストが1位だったため、調子に乗った秋田県教育委員会は翌年、「早寝早起き朝ごはんと家庭学習」とPTAの頭越しに標語を変えた。これに中学生らが反発した。朝ごはんを食べるような生徒は勉強もするから、「家庭学習」は蛇足だというわけである。

それが、今回ノーベル医学賞を受賞した大隅教授の「オートファジー」により、朝ごはんも大して意味がないようなことになってしまった。数日間なら生物は食わなくても自分の体から栄養やエネルギーを合成し、ちゃんと活動できるようになっている、という、考えてみればごく当たり前のことを証明してくれたからである。ライオンだってクマだって何日も餌にありつけなくとも簡単に滅びたり能力が落ちたりはしない。人間も朝飯を抜くくらい最初からどうってことはなかったのだ。

全寮制だった学生時代、朝ごはんを食ったか食わなかったかは大学側に把握されていた。ある教授は、「朝飯を食っていない学生は、成績が悪い」と調査結果を公表し、学会にも報告した。だが私はともかく、朝飯抜きで立派に進級・卒業し、医業や研究に励む卒業生が圧倒的に多いのだから、今回のノーベル賞は教育界に波紋を巻き起こしている。表面化はしないが、たぶんそうだ。

ある睡眠学者は、「若者は朝が弱い。生理学的にやむを得ない年齢的な事象である。学校や会社は朝ゆっくり始業すべき」とぶち上げ、一部からひんしゅくを買った。真正面から常識に挑むのは結構だが、いくらなんでもこれはやり過ぎで、さすがに賛同はほとんど得られなかったようである。

大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ(明治天皇を待つ皇后がこの歌をしたためた)

徯后阪(きみまち阪)をなつかない愛犬と歩く(能代市二ツ井)

久保田城址(秋田市)

久保田城の夕暮れ

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。