2年前の秋田魁新聞に「潟上市の誇り調査ベスト10」が載った。上から佃煮、石川理紀助翁、梨…グリーンランド祭、八郎祭、東湖八坂祭…と続き、24年前に私が引っ越してきたここ大久保の祭りは番外の15位。この祭りは年々衰退し、祭典の実行責任統前町は私たちの「1番統・上町」を筆頭に8番統まであったのが、現在6つ、予算も当時の半額以下である。
6年毎に巡ってくる統前になると祭りの準備が大変だ。仮設トイレの契約、市と警察の道路使用許可、警備会社と電設会社と露店商組合その他との交渉、電線だらけの参道入り口にべらぼうに長い4本の幟を立てる危険な作業もあり、しかも、祭り自体は黒の礼服を着た約30名の祭事委員らが台車に乗せた神輿を引くだけ。昔は100軒も出た露店も半減し、その露店が頼りの祭りなのだ。祭りが近付くと統前町はブルーになる。
それが今年、上町にやってきた。今回の委員長は私。一昨年から町内委員らと協議を重ねた結果、中止寸前のこの退屈な祭りに前例のない半纏を導入して若者を取り込み、神輿は担ぐと決定。半纏の背中は書道家の委員が書いた1番統の○一に、東京五輪の市松模様をあしらい、80着注文した。踊りもやろうと『大久保お祭り音頭』を新作し収録、半纏と同じ柄の手ぬぐいとCDを町内120戸に配布、町内の女性が振りつけし年末から踊りの稽古に入った。
前述の如き苦労を経た5月4日の宵宮。揃いの半纏をまとった上町祭事委員20名は、露店が並ぶ商店街を町内会館から神社まで15分歩いた。この祭りで人々が半纏を見るのは史上初である。6年前は葬儀のような黒い礼服の一団であった。
例大祭5日の朝。町内会館に続々と人が集まる。子供神輿と本神輿が初の連動をするため子供たちも大人とお揃いの半纏とねじり鉢巻き。従来は飲食等の裏方だった女子も踊り子として商店街を神社へ同道。すらり並んだ半纏の○一がまぶしい。神事を終え、神官、総代、初参加の女子小中高生によるバトン隊など総勢120名の記念撮影。例年の写真は男30名ほどだ。続いて『大久保お祭り音頭』の踊りを初奉納。噂を聞いた見物人が殺到し、「境内に人があふれたのは初めて」と目を丸くする宮司。バトン隊を先頭に子供神輿、若者が担ぐ本神輿が神社を出発。商店街で2度踊り、神社へ戻る夕方までワッショイ、ワッショイと街を賑わし、型破りなお祭りは終わった。
慰労会は50名もの関係者で町内会館が埋まった。6年前は10名だった。「客が多かったので気合が入った」「露店の人も踊っていた」「半纏、かっこよすぎ」「お祭りロスがこわい」…蛇は脱皮しないと死ぬ。伝統も守るためには変革が必要だ。天候に恵まれ、神輿で共に汗を流し、踊って、飲んで、食って、半纏は団結とプライドの象徴となった。
この模様は新聞に記事とコラムで2度取り上げられ、翌週には娘が編集したフォトブック(写真集)を町内全戸に配布した。子や孫の姿に、「これは我が家の家宝」と老人たちは驚き喜び、来年の統前委員長は不眠のため当院に通い始めている。
今年の主役は上町
神社へ急ぐ子供たち
踊り隊が後を追う
若手も集結
「大久保お祭り音頭(作詞:佐々木康雄)」の踊り奉納
神社を出発
フォトブック「大久保の祭り2017」の表紙より全員集合
バトン隊「プレ☆ボックス」を先頭に
子供神輿と本神輿の連動
大久保の街へ出て
かっこいい背中を見せて
4時間かけて軽やかに神社へ戻った
やったね、みんな。ありがとう!
大久保お祭り音頭(作詞:佐々木康雄 作曲:斉藤康雄)