アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.79

阿吽(あうん) ~忖度(そんたく)とおとぼけ~

政治の世界を賑わす「忖度」。これは他人の心中を推し量ること、社会を円滑に動かす知恵などといわれる。フェデラーの圧勝に終わったテニスのウインブルドン大会では、ざわめきが収まらない観客に主審は「静かにしてください」ではなく「サンキュー」という。それで鎮まるのはまさに客が審判の意を汲んだ忖度といえる。大相撲でも立ち会いは力士どうしの間合いが重要で、互いの呼吸が合わないことには取り組みも始まらない。この場合は忖度というより阿吽の呼吸か。

近所の犬が散歩の途中で必ずわがクリニックの前でひと声吠える。うちのチワワもドアを開けるや待っていましたとばかりに飛び出してゆく。友達かライバルか不明だが、放尿でマーキング競争が始まり、終わると狛犬(こまいぬ)みたいに玄関にお座りする阿吽の呼吸…。

以前の医療はパターナリズムといって、診療の方針について患者は父親に頼るように医師にお任せの「忖度」の世界であった。だが今は自己決定権やインフォームドコンセントの時代で患者は何事も自分で決めねばならない。かなり慎重だったがん告知もあっさり事務的に行われ、検査や治療の前に交わすアリバイ的な書類も増える一方である。患者家族と医師の忖度、阿吽の呼吸が次第に薄くなり、些かならずギスギスしてきた。

特にがん治療は、最初に投与した抗がん剤が効かなくなって、医師が、場合によっては仕方なく別の薬を提示すると患者家族は今度こそ治ると忖度してしまいがちである。がんの宣告は明快に行うが、新しい治療法が延命に有効か、逆に命を縮めるか不明な面もあり、このあいまいさが最新のがん治療に否定的な人々につけ入るすきを与え、論議の原因となっている。

忖度の逆は「とぼけ」か。脚本のセリフで驚いたり感心したりを繰り返す芝居の役者はとぼけの稽古も同然で、「忖度」と「とぼけ」を使い分ける与野党は阿吽の狛犬かもしれない。北のミサイルに決まり文句「厳重に抗議し、最も強い言葉で非難する」も却って北を増長させる反復強迫であろう。

ハートインクリニックの狛犬たち

真夏の出戸浜海岸(潟上市)

大潟村(秋田県)生態系公園のハス

大潟村生態系公園

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。