政治の世界を賑わす「忖度」。これは他人の心中を推し量ること、社会を円滑に動かす知恵などといわれる。フェデラーの圧勝に終わったテニスのウインブルドン大会では、ざわめきが収まらない観客に主審は「静かにしてください」ではなく「サンキュー」という。それで鎮まるのはまさに客が審判の意を汲んだ忖度といえる。大相撲でも立ち会いは力士どうしの間合いが重要で、互いの呼吸が合わないことには取り組みも始まらない。この場合は忖度というより阿吽の呼吸か。
近所の犬が散歩の途中で必ずわがクリニックの前でひと声吠える。うちのチワワもドアを開けるや待っていましたとばかりに飛び出してゆく。友達かライバルか不明だが、放尿でマーキング競争が始まり、終わると狛犬(こまいぬ)みたいに玄関にお座りする阿吽の呼吸…。
以前の医療はパターナリズムといって、診療の方針について患者は父親に頼るように医師にお任せの「忖度」の世界であった。だが今は自己決定権やインフォームドコンセントの時代で患者は何事も自分で決めねばならない。かなり慎重だったがん告知もあっさり事務的に行われ、検査や治療の前に交わすアリバイ的な書類も増える一方である。患者家族と医師の忖度、阿吽の呼吸が次第に薄くなり、些かならずギスギスしてきた。
特にがん治療は、最初に投与した抗がん剤が効かなくなって、医師が、場合によっては仕方なく別の薬を提示すると患者家族は今度こそ治ると忖度してしまいがちである。がんの宣告は明快に行うが、新しい治療法が延命に有効か、逆に命を縮めるか不明な面もあり、このあいまいさが最新のがん治療に否定的な人々につけ入るすきを与え、論議の原因となっている。
忖度の逆は「とぼけ」か。脚本のセリフで驚いたり感心したりを繰り返す芝居の役者はとぼけの稽古も同然で、「忖度」と「とぼけ」を使い分ける与野党は阿吽の狛犬かもしれない。北のミサイルに決まり文句「厳重に抗議し、最も強い言葉で非難する」も却って北を増長させる反復強迫であろう。
ハートインクリニックの狛犬たち
真夏の出戸浜海岸(潟上市)
大潟村(秋田県)生態系公園のハス
大潟村生態系公園