今年も8月26日に全国花火競技大会、通称・大曲の花火が秋田県大曲の雄物川河川敷で開催された。競技は、規定演技にあたる10号芯入り割り物と自由玉、音楽に合わせるフリーの創造花火との合計で採点されるが、創造花火は今回、「佐藤勲賞」として独立した。初受賞は伊奈火工。川のせせらぎの効果音を背景に蛍が群れ飛んだ。
佐藤勲は総理大臣賞を国に働きかけるなど、それまで関係者だけで細々と行っていた「競技会」を現在の形に道筋をつけた人である。星(火薬の種)を丸い殻の中にを並べる作業を見た彼は、「丸い殻を破ったらさぞ清々するだろう。花火は丸くなくてもいい」と考え、昭和39年に創造花火を発案、業者らに勧め発展してきた。彼の生涯は旧田沢湖町のわらび座でミュージカル『大曲花火物語』として昨年上演された。
高校の後輩でシンガーソングライターの津雲優は4年前の還暦の年にすい臓がんで亡くなった。朗々と歌い上げた彼のCD『いざないの街』は大会の最後を飾る10号割り物速射10連発とともに流れる。~ 短い夏を惜しむように竿燈の灯りが揺れる。言葉にならない切なさに、黙って友と酒酌み交わす。夜空にそよぐ街路樹はあの人のささやき、ああ~ここは秋田、流れ消えゆく笛の音の、胸の奥にしみてゆく… 秀麗無比なる鳥海山よ 狂瀾吼え立つ男鹿半島よ 神秘の十和田は田沢と共に 世界に名を得し誇りの湖水~。秀麗無比は勇ましい秋田県民歌で、会場で唱和する人も多い。いい曲を遺してくれた。
河川敷では7月下旬の大雨で桟敷用資材が流された。花火前日にも集中豪雨で桟敷の大半が冠水、仮設トイレはひっくり返って水に浮かんだ。だが、商工会、市職員、消防団員など関係者数百名は雨のやんだ夕方から夜を徹して復旧作業に奮闘した。見る側だけではない。水浸しの対岸では打ち上げ機材を設置する花火業者らもまた不眠不休だった。秋田県の人口は昨年100万を割ったが、一夜の大曲花火に例年75万人もが詰めかけ、この1日でほぼ1年分を稼ぐ出店への影響も大きい。何より大曲の花火にみな誇りを持っている。
午後8時50分。長さ1キロの現場から6分間で2400発打ち上げられる恒例の『大会提供』ワイドスターマインに客席は興奮のるつぼと化した。9時半に津雲さんの曲とともにフィナーレの10連発が終わった瞬間、陣頭指揮に立っていた実行委員の某は「花火は丸くなくていいが、大会は丸く収まってくれた」と号泣した…。
大曲の花火
大会提供「命の祭り」
一日市盆踊り前夜祭サンバ!
1時間の商店街パレードと30分間のステージを終わって