秋田市北郊の潟上市は今冬、雪が少なくブルドーザーが初めて姿を現したのは1月下旬である。豪雪の北陸には恐縮だが、除雪が冬場の収入源となる土木業者らがぼやくくらい日本海の強風が雪を吹き飛ばす。だが異常低温で路面が凍結し、滑って危ないから散歩は中止という人も多い。
栃木の大学に入った最初の冬休みに鹿児島出身の友人が秋田のわが実家を訪れた。雪と縁のない育ちの彼は雪上を歩くことを怖がり、試しにスケート場へ連行したら壁にしがみついたまま動けなかった。栃木に戻ると学生寮仲間が日光の鶏頂山スキー場へ行こうという。雪国育ちとはいえ私の子供の頃は付近にスキー場もなく、長靴スキーだったから、曲がる、止まるなどの操作はほぼ不可能だった。中学時代はほとんどやらず、高校でもスキー部の生徒以外は誰もスキーをやらなかった。だから「秋田出身だろう」といわれても困る。ところが最初の1本からスイスイではないか。自分でも訳が分からない。
長過ぎた学生生活を終え9年ぶりに秋田へ戻ると空前のスキーブームであった。映画『私を好きに連れてって』がヒットしていた頃である。やがてへき地勤務が始まり、マタギの阿仁町立病院に赴任したら阿仁・森吉山スキー場がオープンした。翌年角館に転勤すると千畑スキー場が、2年後に大曲へ移るとファミリースキー場がオープンといった具合で、土曜半ドンの仕事が終わると昼飯も食わずにスキー場へ直行したものだ。
やがて子が次々生まれ、よちよち歩きの頃からスキーに連れて行くようになった。よせばいいのに乱暴な親の指導で子らはスキー嫌いになる。小学校の途中で全員さじを投げ、親の方もスキーからテニスへ興味が移り、子らはほんの数回でスキー人生を終えたかに思われた。
ところが、彼らも都内の大学へ進むと「秋田だろう」とスキーに誘われる。そして案の定、私と同じように恐々ゲレンデに立ってみたら意外にうまく滑れたと驚く。幼児期に「スキーは滑るから危ない」と警戒していた長男も今やスノボーで私を追い抜く。雪国育ちは、スキーやスケートの特別な訓練がなくても幼いころから凍結路を歩くことで平衡感覚が鍛えられ、「滑る」ことに強いようだ。この連休、長男は医師国家試験だが、これだけは親のように滑ってもらいたくない。
男鹿半島真山神社なまはげ柴灯祭り
宮司による神事によって若者たちがなまはげになる
山から下りてくるなまはげたち
半島の各集落ごとになまはげのお面は異なる
ひょうきんな顔のお面は割と新しいタイプ
*写真:佐々木かなえ(千葉克介写真教室)