昨年4月、学生時代からお世話になっている栃木の商店へ本を送ったら数日後に戻ってきた。宛先の住所が正しくないとメモが張り付けてある。だが、住所録を見ると間違いない。小さな集落で唯一のこの店は住民のたまり場である。今度は商店名を太字にして同じ住所へ投函した。が、数日後また戻ってきた。電話すると、「先生はいつも番地を間違えているけど、届いたのになあ」と店のおじさん。確かに年賀状は戻ってこない。正しい番地に書き直して送ったらやっと届いた。
文芸春秋4月号に作家の保坂和志が『届かなかったレターパック』と題する随想を書いている。妹に送った本が戻ってきた話で、妹はその小さな街の住民なら誰でも知っている公団に住んでいる。番地を忘れたくらいで戻すのは誠意がないと郵便局に抗議したら、「住所をもとに配達するのが建前」が返事であった。これはルールを盾にした意地悪か配達能力の低下だと怒る。
これとは逆に、私が栃木に新設された大学に入ってすぐの頃、オーストラリアの大学で院生をしていた友人から「茨城県・小山市の近く・自治医科大学・佐々木康雄様」と宛名書きされた手紙が届いたことがあった。小山市は栃木県、大学には学生教職員など数百名いる。学生寮の仲間は「俺たちも有名になったものだ」と感心していたが、郵便局の親切心というものであろう。
近代郵便制度を創設した1円切手の前島密は、誰もが平等に利用でき、住民を支える通信システムを目指した。普及のために郵便局をその地の名主や名士に委託し、私が子供の頃の局員は郵便屋さんと呼ばれ住民と親しい間柄だった。ところが昨今、局員の異動は採用地からやたら遠かったり、県外だったりと局員自身も苦労が多い。実際、彼らの受診も増えてきた。どうも、前島密の精神を受け継いでいるのは郵便局より宅急便かといった印象だ。
わが家は医院兼用で自宅玄関に鍵はかけない。「家主不在時は靴棚の上にある印鑑を押して下さい」と書いたメモを目立つように貼ってある。宅急便はその通りにするが、郵便局は何か特別な規則でもあるのか荷を持ち帰ってしまう。民営化といっても所詮はお上の発想が抜け切れず、局員たちに私は同情している。
愛犬ジヨン君は何か見つけた
食えるか、食えないか、それが問題だ
そのころ飼い主たちは…
もうすぐ角館の花見だね、ジヨン君
新宿駅の寿司「ほり川」で一杯
*写真:佐々木かなえ(千葉克介写真教室)