アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.90

日本酒がうまい ~チャンポンのすすめ~

今年は明治維新から150年、幕末にフランスからヒト・モノが入り込んで始まった日仏交流160周年だそうだ。

そのフランスは花の都パリで今、日本酒がブレークしているという。SAKEも銘柄や味を競う時代に入り、高級ホテルが揃って吟醸酒を出し、有名レストランもSAKEを置かないと商売にならないらしい。ジェトロの統計によると過去5年間で日本酒の輸出は3倍増になった。

フランスに限らないようだが、背景には健康志向と和食ブームがある。重いソースを使った伝統的なフランス料理から、脂っこさを控え素材を重視する創作料理に好みが移り、寿司など醤油を使った料理には日本酒が合うと悟ったらしい。

翻ってわが食卓。椅子の背後にある小棚には赤と白のボックスワイン、ウイスキー、焼酎がありすぐ手が届く。キチンを出た廊下の冷蔵庫には日本酒の4合瓶とノンアルビール、別室にワイン保管庫もある。夕食時にはまずキチンの冷蔵庫から缶ビール。食卓に刺身あらば日本酒をお猪口で1、2杯。肉やフライならワイン1、2杯。飲み足りないと焼酎やウイスキーに手が伸び、深夜のW杯サッカーではノンアルビール…。

酒を飲むは時間の無駄、飲まぬは人生の無駄というが、ともかく、今、日本酒がうまい。それを娘らがいっている。長女の話を聞くと、馴染みの店に仲間が集まり、和洋を問わぬメニューからチーズやアボガドを肴に吟醸やしぼりたて生酒、濁り発泡酒などをワイングラスでちょい飲み、生酒は光と高温に弱い、保存期間も短いので店主の情報が大事といい、古典的な呑み助とはスタイルが違う。秋田の老舗、飛良泉本舗の『飛良泉』は、蔵元が吟醸酒という酒類を避け精選の名称で普通酒を出しており、コクがあってうまいという。それは35年前に私がパリに持参し、アンリさんを大いに感動させた酒類の流れを汲む。価格は吟醸に負けないが、娘たちも侮れない。

ところが近年、若い杜氏たちは評判の酒米と酵母を求めるため吟醸を中心に全国の銘酒は味が似てきた。噂ではフランスでも名城ワインの味が似てきたという。いずれにせよワインと吟醸の4合瓶は量も価格も同等で、呑み助には甚だ善き時代といわねばならない。といいながら色々な酒類を梯子する父親に娘は「チャンポンはダメ!」と口うるさい。だが食材や気分で飲み替えるのは楽しいのだ。飲まなきゃ損ソン。チャンポンやって、人生の無駄に乾杯!

西目の道の駅(秋田県由利本荘市)

ポピー(みちのく杜の湖畔公園 宮城県秋保温泉)

鳥海山を撮影する人々(秋田県由利本荘市)

くらかけ沼公園(秋田県潟上市)

*写真:佐々木かなえ(千葉克介写真教室)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。