京都の夏は暑い? はは~ん、悪いウワサに毒されていますねえ。「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町(ポントチョウ)に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし とけて流れりゃみな同じ」っていうでしょ? 祇園祭に行こう!
先斗町で拾われた捨て子を自称する某美大の怪しい教授に誘われ、秋田県民10名は7月16日早朝、秋田空港を飛び立った。私は特に天気予報に鈍感な人間ではない。しかし、降り立った伊丹空港でいきなり熱波に襲われ、騙されたと気付いたがもう遅い。汗を拭き拭きあれこれ乗り継いで四条烏丸駅を出たら一気に噴き出す汗。まず昼飯ということで入った教授お勧めの『西ノ洞院食堂』は冷房がよく効いていた。が、スマホで外気温を見た仲間が「ひぇ、36度!」と叫んだ。教授は、「四条通界隈に山鉾が23基あります。食後はホテルのチェックインまで見て回って下さい。以上」と申し渡した。
サウナと化した四条通を汗だくのゾンビ10名がさ迷う。最初は山の屋根にからくりのカマキリ(蟷螂〔トウロウ〕)を据えた蟷螂山。カマキリが動くなど薄気味悪いが、明日の行列では観客の拍手が多いと動きが活発になるそうだ。長刀鉾(ナギナタホコ)は行列を先導し、稚児はこの鉾にだけ乗るという。他に月鉾、鶏鉾、孟宗山、郭巨山、四条傘鉾などを回ったが、四条通を賑わしているのは多数の外国人も含む観光客と祭り関係者くらいで、犬猫は1匹も見かけなかった。動物の方が賢い。
午後2時、39度。三井グランドホテル京都四条へ避難。ズボンはおしっこを漏らしたかのように股下までぐっしょり。「京都の夏が暑いというのは悪いウワサではない!」と私は抗議したが、教授の苦笑いで気温が下がる訳でもない。
日が傾いた。先斗町で夕食ですと先頭に立った教授の足取りは軽い。地元に帰るためだろう。小半時も歩かされ川床『かっぱ寿司』に着いた。先の大雨で氾濫した鴨川は静かに流れ、だが川面を渡る風はちっとも涼しくない。鱧(ハモ)などでビールと酒。祇園祭は「鱧祭り」ともいうそうで、確かに旨い。提灯の輝きが増したころ先斗町へ繰り出し、飲み友とカウンター6席だけの店に入った。高知から「冥途の土産に祇園祭を見に来た」初老夫婦と、タイと米国の若いシステムエンジニアが先客。「京都は暑いですね」と挨拶を交わし11時まで話が弾んだ。
翌17日朝、ホテルで祇園祭の山場、八坂神社で行われる山鉾巡行開始の儀式をテレビ中継で見る。10時にホテルを出てまたもや36度超の四条通から御池通まで歩き、道路を区切っただけの桟敷へ。スマホ男は38度というが、強い日差し、アスファルトの照り返し、無数の客の熱気で実感40度超。席に着くと帽子と団扇に加え、冷えた茶のサービスが始まる。
長刀鉾が現れた。高さ8㍍の山の屋根に突き出た長い竿の先端まで25メートルという。テレビで見た稚児の母親らも和装姿で現れ客席から歓声と拍手。学生時代、京都府出身の男に祭りのことを尋ねたことがある。答えは「俺のような田舎者には全く関係ない」であったが、八坂神社より「五位・十万石」を授与された稚児は1カ月に及ぶ祭り行事で重責を担う名士の子息というから彼の言葉に偽りはない。コンコンチキチンの笛と鉦、太鼓の祇園囃子で行列は進む。蟷螂山がきた。拍手が足りないのか、猛暑のためか、カマキリの動きが鈍い。
とにかく、暑い。救急隊が担架に人を乗せて都大路を横切るのが見えた。「命を守る行動をとろう」と隣に声をかけ、客もまばらになっていた桟敷から冷房フル回転の地下街へ。大勢が避難していた。トイレの鏡に映る顔は汗だくで青白い。危なかった。体を冷やして地上に戻ると、「そろそろお昼です」と教授。また歩き、お好み焼き『喜の屋』のビールで喉を潤す。
夕刻、再び先斗町へ。今宵は川床「卯柳」(ウリュウ)。また鱧である。乾杯して間もなく舞妓さんが現れた。想定外だった。久桃さん22才。15才でこの道に入った。教授と懇意で、半年も前に今日の予約を取ったという。やや大柄で、瓜実型の顔に厚い白粉の京美人は話術も巧み。街を歩いていると外人さんからよく撮影許可を求められる、写真はOKですよといわれみな大喜び。するうちに「そちらのお兄さん、ビールが進みませんねえ」といいながら久桃さんは私の隣へやってきて酌をしてくれた。間近で見るとなお美しい。にらめっこしましょうと彼女は射るように私の目を見つめる。ニュートンの林檎…。
「好きで好きで大好きで 死ぬ程好きなお方でも 妻と言う字にゃ勝てやせぬ 泣いて別れた河原町」お座敷小唄のさわりをやった彼女の替え歌。「顔が見たけりゃ写真よね 声が聴きたきゃスマホかな だけどやっぱり逢わなくちゃ できないこともあるのです」と妖しい笑みを浮かべ小さなコップ2つを右手に挟み、上のコップから下のコップへ流れるビールを巧みに飲んで「滝流し」。お座敷芸らしい。私が太めのコップで挑戦したら彼女はまた傍に寄ってきて、「お兄さん、こっちでないと無理ですよ」と自分が使った細身のコップで手ほどきしてくれた。何とかできた。そっと差し出す小指ほどの小さな名刺には「久桃」の2文字だけ。
帰りの機内で教授に、「久桃さんは素敵です。許されるものなら桃みたいに食ってみたい」といったら、彼は「先生、蟷螂山のカマキリを見たでしょう。『蟷螂の斧』って言葉はご存知?」「無駄な抵抗とか、身のほど知らずとか」「舞妓を身請けするには莫大な金が必要です。残念ながら田舎の開業医じゃ無理。うまくいったとしても食われておしまいかなあ~」あ、そう…ともかく、暑い京都のひと夏は終わった。
蟷螂山(屋根にカマキリ)山鉾は朝廷と八坂神社の祭り
元祖「滝流し」
手ほどきを受け
挑戦してみる
神輿は民衆の祭り