育児がつらい、子がかわいくない、眠れないという女性が受診した。中学時代から不眠症で、今も深夜3時ころまで眠れず、起床はうっかりすると正午というので驚き、夫は怒らないのかと問うと、自宅が釣具店で、夫も姑も育児を手伝ってくれる、私は幼い頃から部屋が足の踏み場もないと親に叱られてきた、家事も苦手だが、午後はルアー作りに集中でき、腕がいいと褒められるというからまた驚いた。「ネットのADHDチェックをやってみたら、どうも当てはまる。薬を試したい」という。
2回目の外来で薬を処方し、2週間後に現れた彼女はちょっと浮かない顔である。服薬後、睡眠覚醒リズムが改善して朝6時に起きられるようになった、料理と片付けが苦痛でなくなり、気持ちにも余裕ができ、子がかわいい、家族も褒めてくれる、でも何だかすべてが以前と変わってしまい、自分が自分でなくなったような気がして…というのであった。
別の女性は薬局に就職して半年後から仕事がはかどらず、ミスが増え眠れなくなった。上司に「物事に優先順位をつけろ。何度も同じ注意をさせるな」と説教され、同僚からも「仕事、そんなに難しい?」といわれ、「もっと自分に合う職に就きたい」と母にいったら、「また仕事かえるの!」と怒られ袋小路だと肩を落とす。ADHDの可能性と薬について説明してきたが、私は適応障害、母も気の持ちようというからと拒否していた。やがて、「ダメ元で飲んでみたい」というので処方した。
2週間後、「目覚めがすっきりして朝の憂うつが減った。カウンター業務はまだ苦手だが、バックヤードでは動きが良くなったと同僚にいわれた」という。薬を倍にした2週間後、「お姉ちゃんの部屋がきれいになったって弟がびっくりしている。料理も後片付けもきちんとできたと母にほめられた」といい、「何だか今までと違う世界にいるみたい。転職はもう少し考えます」と笑顔を見せた。
ADHDは病気ではない、本人の努力不足という声もある。私も確かなところはよくわからない。だがこの2人に共通するのは、「生きにくい」ことと、服薬後「世界が今までと違って見える」という驚きである。若い頃、渡仏して4カ月後に帰国した私は、出国前は気にならなかった日本の電柱電線、看板、信号機がやたら目障りで、まるで異国に来たように歯車が狂い、半年以上ぼうっと過ごした。カルチャーショックである。患者たちも似た経験をしたのではないか。
数年前、精神科医9名でADHD研究会を開いた。座長は、自分は子供の頃から今も机の上は乱雑、食事時に料理が揃う前に手をつけてしまうので妻は私の箸を最後に出すという。別の医師は小学校の頃、落ち着きなく何にでも口を出し、うるさいと教師から廊下に立たされたが、窓越しに教室内にあれこれいうのでグランドに追いやられた。スーパーで買い物中に考え事に耽り、商品を持ったまま外に出て万引きでつかまりそうになった医師など、9名中、私を含む5名がADHDか、疑いであった。『ADHDにとって医師は天職』という人もいる。真偽の程はともかく私も薬…が、この齢でカルチャーショックも怖い。
栗駒高原の秋
北秋田のマルメロ
母と暮らせば(紀伊國屋ホール10月13日)
栗駒の「考えるADHD」
ADHD仲間ジヨン君