秋田の冬の行事「男鹿のナマハゲ」が全国10カ所におよぶ来訪神・仮面・仮装の神々の一つとしてユネスコの世界遺産に登録された。他にも似たのがそんなにあったのか、男鹿のナマハゲに便乗しているのではないか、よそのモドキに埋もれてしまわないかとテレビの取材に不安を口にする住民もいたが、ともあれ、ナマハゲ保存会や行政らが長年続けてきた努力が報われたわけで、まずはめでたい。
日本海に突き出た男鹿半島に隣接する秋田市北郊の潟上市、大潟村、南秋田郡、三種町のナマハゲは消滅している。私が育った由利本荘市は半島から南へおよそ100㎞に位置するが、幼い頃ナマハゲ(由利ではヤマハゲだったか)は恐怖だった。真冬の夜におどろおどろしい姿恰好のナマハゲが「悪い子はいねがー」と大声で家に入ってくるのである。あの怖さは経験した人でないと分かるまい。
「ナマハゲは私にとってトラウマです」という男鹿の女性がいた。彼女はナマハゲの出ない地へ嫁に行くと宣言していたが、何とわが故郷の温泉宿に嫁いだ。その頃には由利のナマハゲも消滅していたから全く心配なかったのだが、あいにく姑であるおかみさんは気性が荒く、「ナマハゲ以上だ」と幼子を連れて逃げ出してしまった。とにかくナマハゲは恐ろしい。
一方、半島在住の別の女性はナマハゲ大好きといい、遺産登録を素直に喜んでいる。幼い頃のある大晦日、ナマハゲが現れる2時間も前から家の押入れに隠れていたところ、玄関から上がってきた1匹が押入れに直行し荒々しく戸を開けた。悲鳴を上げたその刹那、ナマハゲは面を取ってニッコリ笑った。兄だった。今は亡き兄の笑顔が忘れられないという。その地区では今もナマハゲを座敷に上げ、御膳とお神酒を振る舞う。こんな仕来りが残っているのはもはや例外的である。
潟上市内の病院に勤務していた平成10年頃、こんな話を院長に伺った。ある大晦日の夜に救急車が若者を運んできた。付き添いの大人たちはどうみても家族ではない。患者の体に何本もの藁が付着していた。事情を尋ねても口が重い大人たちの体にも藁がちらほら。ナマハゲの面をかぶれるのは独身の成人男性という習わしだが、人手不足のために未成年の高校生を起用し、各家々で頂いたお神酒が原因の急性アルコール中毒だった。当時からこの行事を担う若者は不足だったのである。
このように世界遺産だと騒いでも100を超える各集落ではナマハゲの担い手不足がだいぶ前から深刻で、それでも伝統を理由に集落外の人間の参加を拒み「若者」役を中高年が細々と務めている。忙しい大晦日に行われることもよそ者の応援をためらう理由の一つかもしれない。
男鹿市観光協会が企画しているナマハゲ伝道師は、ナマハゲを正しく理解し、伝統継承に寄与するサポーターを増やすのが狙いと聞く。伝道師の資格試験は受験者の8割が県外の人である。声をかければ彼らは喜んで面をかぶるだろう。日程も昔の1月小正月に戻せば時間的、気分的に余裕ができ、希望者を民泊などで準備段階から参加させることができる。
ナマハゲを家に入れるとお膳を出さねばならず、座敷も汚れるので玄関でお引き取り願う家が増えた。座敷だとお猪口だが、玄関だとコップ酒のため件の高校生みたいなことになる。これも数軒と契約し、観光客は『有料桟敷』並みに座敷で待遇したらどうか。『岡本太郎の東北』によれば、子供を脅し泣かせるのは大人社会に仲間入りさせる通過儀式である。これを宣伝し「子役」を募集するのもいい。平成24年から男鹿市は催行する集落に補助金3万円を出している。いずれにせよ伝統行事を継続してゆくには、日程の工夫、資金調達の方法、よそ者の活用がカギを握っているようだ。
ナマハゲの真山神社
お祓いを受けてナマハゲになる
山から降りてきたナマハゲは
「泣く子はいねがー!」と子供を泣かす
『岡本太郎の東北』