アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.99

脳を鍛えるには運動しかない! ~トレイク潟上~

八郎湖を見下ろす高台に災害時避難所を兼ねたスポーツジム『トレイク潟上』がオープンしたのは昨年10月。トレッドミルなど運動機器27台の他、会議室や大ホール、デイサービスもあり連日賑わっている。拙宅から車で5分、潟上市民は1日200円、半年会員6千円。私も発足時に入会し週1、2回利用している。娘や友人らは月額6千円もする秋田市内の民間ジムからトレイクに切り替えた。典型的な民業圧迫である。

先日も娘と顔を出したら事務長が「先生、今日はNHKがレスリングの女子選手を取材に来ます。よろしく」という。私はクロストレーナー、娘は筋トレを開始。そこへNHKのクルー5名が現れ、選手が運動する様子を撮影し、インタビューも始めた。事務長の挨拶を忖度した私は一利用者として質問を受けた場合に備え回答を3つ考えた。

1つは7月に計画している鳥海山登山の準備。もう1つは運動後にビールを美味しく飲むため。3つ目は古稀が近い自分の認知症予防である。あいにく私へのインタビューはなかったが、認知症については有効なケースが2例あった。

2年前から軽度認知症で通院中の男性77才は大相撲の大ファンで、年3回両国に出かけていた。それが次第に上京を面倒がり、外出も減って物忘れが進んできた。薬にも反応せず散歩を勧めてもダメ。ところがトレイクのデイサービスに週3回通い始めて2カ月後からどんよりした顔が冴えてきた。居間で寝転がってばかりいたのが妻の食器洗いを手伝い、ゴミ出しを再開したので付近住民も驚いた。

40代の娘と暮らす男性78才はもの忘れに加え些細なことに腹を立てるようになった。2月からここのデイサービスを開始したところ4月には怒りっぽさが改善、テレビの朝ドラを見るようになった。親族から「薬がよく効いているようだね」と言われた娘は、「薬より運動のお陰だと思う」という。

ジョンJ・レイテイ著『脳を鍛えるには運動しかない』には「運動をすると気分がすっきりすることは誰でも知っている…心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストの状態になるからなのだ」と書いてあるが、これは要するに、運動で体が汗をかくと脳も汗をかいているということである。ま、脳みそは汗をかかないにしても、脳の活動とは脳細胞間の連携だから、眠っていた神経回路が体の運動によって活性化したとはいえるだろう。この本では、米国のある高校で朝の授業前に15分間運動させたクラスと従来のクラスに半年後、同じ試験を行ったら運動したクラスの成績が上がったという結果も示している。登山とビールのためだけでなく、お互い、もっと汗を!

1 トレイク潟上

2 機材が並ぶ運動室

3 トレイク隣の土俵へ通じる階段

4 トレイクの日本海側に広がる大潟村の菜の花ロード

5 一読の価値あり

6 うるさい、ずるがしこい、落ち着きない、本をかじる、ウンコを食う、私に全然なつかないチコ

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。