変形樽を、自分の心の糧として創作
約八十年前に祖父が現在の栃木市で樽屋を開業いたしました。栃木市には大手の味噌屋さんや漬物屋さんがあり、樽はその業務用の輸送用容器として使われました。
今からおよそ五十年前の昭和三十年代に、木製品の樽はプラスチックや発泡スチロールの容器に変わってしまいます。その後、我が家では業務用の樽から家庭用の日用品樽(自家製の味噌漬物用)に製造を変えました。そんな時期に私は成人して樽作りを学び、父と家業を続けました。
樽は杉材(例外的にヒノキやサワラも使用)を竹のタガで固くしめて水分や塩分、アルコール類をもたせるものです。一本の同じ杉丸太から木取った材料でもクセや固さは千差万別です。樽材は一枚として同じものはありません。そのふぞろいの材料をまとめてかためてたたくものです。作るというより樽の言い方ではたたくと言います。騒音や振動もかなりのもので全身運動になります。精工なもの作りの世界からすると別世界の観があり、そのような動作になれた私は精工で緻密な仕事の依頼を受けますと、大汗をかきながらその内容を満たすべく発憤せざるをえませんでした。
現在は、祖父や父の頃からは想像もつかない位の多くの大小さまざまな樽桶の製作や修理を行っております。そんな仕事の合い問をみて木や竹の素材を工夫した変形樽を、自分の心の糧として創作しております。
(文:萩原 幹雄/下野手仕事会40周年記念誌『下野手仕事会四十年之軌跡』P60-61より)