伝統技術を残していくために
昔は小山市から茨城県結城市一帯が結城地方でした。国の重要無形文化財で、ユネスコ無形文化遺産に登録された結城紬は手つむぎ糸、緋くくり、地機手織りの三伝統技法を守り続けてきました。私はその中の染色を受け継ぎました。明治5年頃から我が家では染色店をはじめていますので、約130年続いています。鬼怒川の氾濫で農業だけでは食べていけなくなった農家が、養蚕を副業としたことから始まりました。
幼い頃から父の仕事を見て育ち、私も周囲も家業は継ぐものと思っていました。約35年前に私が継いだ頃は染色店は18軒ありましたが、生活様式の変化で今は10軒。また、織元はかつて500軒位あったのが50軒になってしまいました。年間の反物は3万反から2千反に減少してしまったということです。下降線をたどるだけなので、このままいけばゼロになってしまうという危機感がありました。残していくには個人レベルではとても無理です。重要文化財に指定された紬を残すために行政も力を入れ始めました。
今、伝統技術を保持しながら新たな紬の開発に関わっています。平成の新たな草木染めです。平成12年には、小山ブランドとしての市の花「オモイガワザクラ」を使用した「思川桜染」を完成させました。また、平成25年には「倉渕紬」の染色を担当して世に出すことができました。着物文化は下降線ではありますが、スカイツリーでの販売や、メディアで取りあげられることにより、伝統文化としての手仕事が見直されてきてはいます。
染色という手仕事の伝統技術を残していくために、若い人たちが継承できるように環境を整えなければならないと思っています。そのためにこれからも全力を尽くしたいと思います。
(文:大久保 雅道/下野手仕事会40周年記念誌『下野手仕事会四十年之軌跡』P26-27より)