足尾銅山をテーマにした写真展「時間旅行 『あかがね』慕景」
写真家鈴木是清さん(栃木県高根沢町在住)が足尾銅山をテーマにした写真展「時間旅行 『あかがね』慕景」を宇都宮市の栃木県総合文化センターで開催した。足尾銅山は来年、閉山50年を迎える。

作品1
足尾との出会いを鈴木さんは「初めてこの地を訪れたとき目に入ってきたものは、衝撃的な、時代を超えたゴーストタウンの光景だった。セピア色の世界へ誘われてしまう光景、隆盛の頃の情景が蘇ってきた」と語る。
解体されていく製錬所の建屋、朽ちてゆく社宅、子どもの喜々とした声が消えてしまった小学校跡地のジャングルジム、製錬所から放出される有害物質によって荒らされた山肌‥‥セピア色の光景に惹かれるように25年間にわたり足尾に出向き撮りためた作品から選んだ80点が今回展示された。

会場

鈴木是清さん
「展示作品と一緒に写真を撮らせてほしい」とお願いすると、鈴木さんは廃墟となった社宅跡を撮影した作品の前に立った。その写真には次のようなキャプションが添えられている。
『閉山。あの日から来年2月で50年、私が訪れ始めてから25年のときが流れます。この地を訪れる度、ここで暮らした人々の生活の声が聞こえてくる。今でも人々の魂が宿っているような、不思議な感覚にとらわれる。その厳しい時代に、翻弄され、夢残して、新天地へ、又、残る人々の葛藤の痕跡が時を戻して見えてくる』
「目には見えない、かつて足尾に暮らした人たちの息づかいを伝えたいと思った」。作品一点一点に添えられた写真キャプションから鈴木さんの思いが伝わってくる。
『鉱毒公害で傷ついた人、鉱山で身を粉にして捧げた人が製錬所を見守るように眠る。その心情を‥‥供養するかのように(お墓を)白い花が包むよう咲いている』
『製錬所の建屋が解体されてゆく。幾人もの夢を築きあげた物を、想いを載せて、夢の痕が消えてゆく』
『家族の団らんの部屋らしい。日当りも良く、明るい家族の声が聞こえてきて悲しい。やがては、自然の緑に覆われてゆくのだろう』
『心揺れ動く中で、多感な思春期の夢や心の葛藤が書き記されている。どんな想いでここを旅立っていったのだろうか、夢果たしていることを願って止まない』

作品2
『1955年足尾砂防ダム完成、当時は東洋一の規模と言われた。裸の山肌 公害により失われた緑の回復は幾年かかるだろうか。これからも自然との永い対話が続くのだろう』
『小学校跡にジャングルジムとすべり台、深緑に覆われ、正門の柵にはオタマジャクシのメロディが、遠い記憶に引き込まれそう。児童たちの明るい歓声が‥‥』
『住人が育んだ木々や花が今年も花を咲かせている。今は何処の地で春を迎えているのだろうか』

作品3

作品4
多い時は月に4回ほど訪れた足尾。これからも撮り続けていきたいという。撮影のスタンスは変わらない。「師匠の教えでもある。目には見えないものをどう伝えていくかということ」
未来の足尾のテーマの一つが「自然」だという。「銅山が出来る前の豊かな自然を取り戻すこと」。そこに足尾の再生を見いだしているかのよう。