「アートは、国境を超える」―。ニューヨーク、パリ、そして東京。世界を舞台に詩人、美術家、ポエトリーリーディングアートパフォーマーとして多彩な芸術活動を展開する千葉節子。東日本大震災、福島原発事故で福島県白河市の自宅が被災にあってからは、命の尊さと心の復興をテーマにした写真と詩のフォトグラフィーアートにも取り組む。『FUKUSHIMA SKY』は、瞬時も休むことなく未来へ向けて変化し続ける大空の豊かな表情を写真で追い続けるプロジェクトだ。「空には人と人とを隔てるものがない。どこまでもひとつ。空を見れば希望を感じることができるのです」
詩人、美術家、ポエトリーリーディングアートパフォーマーの千葉節子
闇が深く長いほど朝焼けは華麗で美しいと語る
「君は芸術の革命家」
「アートというものは、本来、魂の国境を超えるものですので、自らの活動の土壌も日本だけではなく世界。最初からぜひ世界でおこないたいという思いがありました」。1994年、ニューヨークで詩人、アーティストとしてデビュー。翌年、処女作となる日本語、英語、フランス語の3か国語によるポエトリーリーディングのCDを、著名な音楽プロドューサーでもある音楽家、ホッピー神山のプロドュースでリリース。ニューヨーク、パリ、東京で完成記念のライブツアーを行い、オーディオヴィジュアルな要素を取り入れた演劇的なアートパフォーマンスが注目される。
ニューヨークでは巨大スクリーンに英訳した自らの詩を映し出し、その前でインドネシアの影絵のような演出効果のパフォーマンスを披露した。パリでは「君は芸術の革命家なのだから、もっと自分のオリジナルの世界を前面に出した衣装を」とアドバイスされて自ら考案した黒い和紙20束ほどを帯のように体に巻きつけた衣装に身を包み、エナメルブラックのグランドピアノの上に横たわって演じるかのように詩を朗読した。共演のミュージシャンがまるで子守唄のような優しい音色をピアノで奏でた。パリッ子に大受けだった。そのときのスタンディングオーベーションの拍手、そして、「あなたは私の魂のもっとも深い繊細な部分を、慰め、浄めてくれたわ」と涙を滲ませながら話しかけてきたフランス人の女性の顔は、いまも記憶から消え去ることはない。
デビュー作『夢魔の庭』とパリのレコード会社が制作したCD『Mango Man Go』。スタッフは全員フランス人。日英仏語付き
ミラノのファッション誌では詩の掲載以外にモデルも
大英帝国勲章CBEを受章した世界最高齢の天才ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデルさんと。ユダヤ人のイダさんは子供の頃、祖国、ポーランドのユダヤ人虐殺直前にイギリスに渡った
ミラノでの撮影風景
わたしたちのこころは いつも あなたたちとともにある
2011年3月、東日本大震災、福島原発事故で福島県白河市の自宅が被災した。アーティストとして何ができるのか、そればかりを毎日考え続けた。その年の6月、被災地のためのチャリティーイベント「プレシャスライフ」に参加。「わたしたちのこころは いつも あなたたちとともにある」をテーマに幾つもの白いハートのパーツが中心となったインスタレーション等を制作した。
「巨大地震にも、津波にも、原発事故にも決して壊れることのない人間の命の尊厳、人が人を思う慈しみのこころ、そして、どんな絶望の中からでも必ず立ち上がり、いっそう幸せに向かって生きようとする、その不動の精神力を表現しました」
そして、3.11以前から取り組んできた『あなたのこころのいたみには いのちのすべてをつつみこむ 宇宙のやさしがあるのです』という長いタイトルの詩集の制作である。
「この人間社会というものは、本当に複雑極まりなく、IT化が進み、オーガニックなものが置き去りにされているところがあり、その反動で人のこころが非常に傷つきやすくなってきています。誰にも言えない痛み、苦しみを抱えながら歯を食いしばって、涙を隠しながら懸命に生きている方たちが本当に多いのです。そういうデリケートな状態にあるこころと、そして魂に、あたかも、やさしい、明るい、きよらかな光をあてるような詩を作り、届けることで、一詩人として応えていきたいと思いました」
彼女自身、「哀しみと、漠然とした不安と、怖れと、苦しみの中にいる」病、との、何年にも渡る長い闘いの時期があったという。
「ベッドから起き上がるのも大変で、何も書けない状態でした。でも、作家ですから客観的に自身を見るんですね。この苦しみには意味がある。その意味は何だろう。苦しみを知るからこそ、苦しみに置かれている方々のこころに寄り添い、慰め、励ましの言葉を贈ることができる。そういう体験がなければ人間は魂を開ききることができないのだし、人の気持ちの深いところまでをも理解して、その深さに応え届けきる言葉というものを選べないと思っていましたので、体験した分、たとえ微力でも、こころと、そして魂の、その両方を慰め、励ます詩を書くことが私の使命なのだと思いました。だから、この詩集を、いま一番、世界に広く届けたいのです」
「逆境に置かれたとき、多くの人が、『なぜ自分はこんなに苦しまなければならないのだろう』、という自身への問い掛けへのアンサーが欲しいと思うのです。それが得られないのでネガティブに考えて自分を追いつめていってしまう。誠実すぎて、やさしすぎて、それ故のやり場のないこころの痛み、苦しみ、哀しみというものを自分の至らなさである、と自分で自分を責めて傷つけ、孤独と絶望を作りあげてしまう。でも、『あなたが、いま、辛くて哀しくて苦しいのは、実はたくさんの人たちを励まし、やすらげ、幸せにする力があなたにあるからなの。あなたが闇に思えたもののすべては光にかえることができる。その光を生むために、いま、あなたはこの闇を味わっている。世界で一番尊い時間を、実はあなたはあなたの命とそして人生の両方から授けられているのよ』迷い、そして生きることの意味を求めている人たちに、生命の大宇宙は、このように微笑みながら答えているのだと思うのです」
3.11後作り続けているホワイトインスタレーション。横浜のアートフェスで
人間は光を湧きあがらせ、光となって、光へ向かって生きてゆく
3.11後に始めた新しい世界が、写真をツールにした現代アートだ。自宅の小さなバラ園等をモチーフにした『Flowers in the Eternity/永遠の中の花たち』、日常の生活の中で出会った光を抽象的に撮る『Blessed and Embraced/溢れる光に抱かれて』、そして、福島の空を被写体に生命の宇宙をテーマにした『FUKUSHIMA SKY/空はいのちをつないでいる』。FUKUSHIMA3部作が現在進行中である。
『Flowers in the Eternity』には「原発事故後も季節が来ればバラは満開に咲き誇るんです。どれだけ慰められ、励まされたかわかりません。花に対する感謝の気持ちを永久に残したい」との思いがある。
『Blessed and Embraced』には「人間は常に光へ向かって生きていく。どんなに命の状態が闇の中にあっても、生まれる以前から宿っている命の光というものの存在を、幾重にも、何度でも、人間は自らの裡に湧きあがらせながら、光となって生きてゆく」との思いがある。
そして、『FUKUSHIMA SKY』について、千葉節子は、こう語る。
「FUKUSHIMAという場所は、原発事故で世界的に有名な場所になってしまいました。原発の恐ろしさはもちろん、福島の人たちの無念さ、痛み、不安、怖れ、哀しみというものは、どれほどのものか。事故直後から暫くの間は情報が全く入らずエアポケットのようになってしまいました。ですから非常に孤立感が強いと思うのです。でも、そのような孤立感も、空を見あげたときには、やすらいでゆくように思うのです。大地には人間が自分たちの利益や駆け引きの末に引いた人工的な明確な県境や国境があります。けれども、空は、領空と呼ばれるものがあっても、雲の流れや行き交う鳥たちを見ればわかるようにどこまでもつながり、そしてどこまでもかぎりなくひとつなのです。だから、空を思い出していただければどこにいても希望を感じることができるのです。そして、誰かが誰かのことを思い、行動するという人間の善なる部分というものに、再び立ち戻ることができる、生命の希望のメタファーとして誰もが共有できるものは、空という私たちひとりひとりの命をつなぐ無限の宇宙なのだろうと思います」
『FUKUSHIMA SKY』「幸せは 感謝の心に訪れる」との詩が添えられている
FUKUSHIMAという場所が教える生命の愛とも呼べる生きることの希望、そしてそのパラドックスの意味
住み慣れた首都圏から白河に引っ越すとき、千葉節子は父に「私の部屋はアトリエにもなるから、天窓をつくって」とお願いしたという。ベッドの上からも空をながめることができる。体調を崩してベッドで過ごしていたときも、いつも空を見ていた。
「白河というところは、原発事故の悲劇があるとは思えないほど見事なまでに空が美しく、また風が強いですから瞬時も休むことなく表情を変えていくわけです。毎日、夜明けの微妙なグラデーションの空を撮影し、それが終わると、朝の光、夕景、一日中カメラを手放すことがないくらい。制作していて私自身のこころに変化が生まれます。撮影中はそこかしこと空を追いかけてゆくのですが、宇宙は瞬時も休むことなく変幻自在に動いているという事実と真理を常に体感することになるので、たとえ何十万年、何百万年という人類にとっては気が遠くなりそうな測り知れない単位の歳月を要しても、いつの日か、FUKUSHIMAという場所も、必ずや希望の大地に蘇っていくに違いないという確信にも似た感覚を、不思議と持つに至る命の存在に気づくのです」
「空を見渡し、見えない風を見つめ、光を追いかけていくと、本当に生命というものを感じることができます。人間の細胞は、毎日生まれ変わっているのです。私たちはあろうことにそのことに気がつかないだけで。『今日もまたマンネリ、同じ一日』と、自分自身に囚われながら過ごしてしまうのは、大変にもったいないことです。一日一日が違うのです。一秒一秒違うわけです。だから、この生命の大宇宙の豊かさに気がついたとき、生きるということが、どれだけ豊かで美しく、そして、この一瞬が何物にも代えられない宝物なのか、ということが、パラドックスのようですが、大惨事後のFUKUSHIMAをみつめると自ずとわかってくるのです」
たとえこの世の果てにおいてもなお人間は表し、語り、伝え続ける
「人間は、自らを含めた命の十分な価値に気がつかないまま時を重ねているのだと思います。けれども、ひとりひとりの命に宿るその真の貴さと無限の可能性に目覚めたとき、人生は、そして世界は、必ず良い方へ変わりゆくと思います。もっと自然であたりまえのこととして命と環境にやさしくなれる本当の強さが求められ、育まれ、個人と社会と地球のいずれにも幸せと平和を築くための道が開けゆくのではないでしょうか。その生命の宇宙の愛とも呼べる生きることの希望は、たとえ、この世の果てのような場所に身を置こうとも、人間には、表し、語り、伝え続けてゆくことができるのです」
「フクシマ・モナムール」、あるいは、おおいなる魂の愛としてのFUKUSHIMA
「過去にはチェルノヴィリ、スリーマイル、と原発は事故を起こしました。FUKUSHIMAが起こったいま、次のFUKUSHIMAが起こらないとはおそらく誰もが確信をもてないのではないかと思います。私たちは、すでに種の存続のための転換期に入っているのです。戦争というビジネスに頼らなくても繁栄できる社会へと、又、全人類の1パーセントの富裕層が手にする一日の利益で救われる多くの恵まれない子供たちに笑顔が戻る世界へと。FUKUSHIMAという場所は、実は、私たちが変わらなければ、もうこれ以上私たちが存続できないことを教えているのだと思うのです。実際、福島第一原発事故後はじめて社会の色々なことに気がついたという方たちは本当に多いのです。その大切さに、FUKUSHIMAは、日本人のみならず、人類と世界の両方を目覚めさせ、立ち上らせようとしているのではないかと思います。昨年の秋、原発をテーマにし、日本でも話題になった映画、『10万年後の安全』でも知られる北欧、フィンランドのある著名な女性の作家が、FUKUSHIMAをテーマにした本を出版するため白河に取材にみえ、インタビューを受けました。その時、彼女の本にアーティストとしての私の活動を紹介するのみならず、私のFUKUSHIMAをテーマにした詩をいくつか掲載したいとのご依頼をいただき、原発事故から半年の節目に書いた『Greatest Love FUKUSHIMA』という詩を含め、プロジェクト、『FUKUSHIMA SKY』に添えるために書いているもので個展で発表した詩、あわせて11点の英訳を、彼女の帰国後、メールで送りました。かつて、フランスの小説家で影像作家でもあるマルグリット・ドュラスは、広島を舞台に『ヒロシマ・モナムール』という作品を作りました。福島第一原発事故後のいま、世界では『フクシマ・モナムール』という言葉が聞かれるようになりました。FUKUSHIMAで起こった出来事を、日本だけではなく、世界の痛みととらえているのです。この世界の祈りに、私たちの国、日本が応える転換を見せたとき、日本は平和憲法を遵守した文化立国としての尊敬の称賛を世界から得てゆくのではないでしょうか。そのような意味においても、FUKUSHIMAは、私たち人類と、私たちが共に暮らす碧い硝子細工のような状態にある美しい生命の惑星、地球の、その両方の蘇生を担うおおいなる魂の愛を携えた、使命の大地のひとつであると思うのです。私の作品、『FUKUSHIMA SKY』は、私たち人類と地球の癒しと蘇生と救済をみつめ、物語る、生命の大宇宙のとこしえの瞳なのです」
命と地球にやさしい未来となることを祈る
※BIOS電子版撮影協力
「丘の上の喜楽」宇都宮市富士見が丘1-21-28 TEL:028-689-8886