何年かぶりの寒波の続く2月、雪が薄っすらと積もっており、気温はマイナス8度。この日私は、パリ5区へと向かった。有数の大学(そのひとつにソルボンヌ大学がある)、研究所が点在した文教地区として知られているこの地域は、パリの歴史を形成した重要なカルチェラタンでもある。
その5区に日本女性「チハル・タナカ」のアパルトマンがある。彼女はドアの向こうから笑顔で迎えいれてくれた。中は暖かく、サロンの暖炉には火が燃えていた。室内はエキゾチックなスーヴニールが飾られている。贅肉のない肢体、口元からは美しく的確な日本語の音、品とエスプリのあふれる「パリジェンヌ」のような日本女性「チハル」。
田中千春
暖炉の前で(左手前がチハル)
フランス文学からパリへ
文学少女だった。高校(清泉女学院)時代『チボ-家の人々』を読んで感銘を受け、フランス文学にのめり込んでいった。同時に演劇に傾倒し文学座の演劇研究所に所属していた。コルネーユ、モリエール、ラシーヌ等フランスの古典戯曲に浸っていたという。
彼女の家の近くで、コリ-犬を連れて散歩をしていた美少年に出会った。彼が「早稲田大学に行く」と言ったのがきっかけで、「じゃあ、私も」と、恋心で早稲田大学仏文科に進学を決めたという。やがて、奨学生として推薦されてパリ留学へ。
「パリで遊んでいたわ。たった数ヶ月ですもの」。その後、京都の日仏学館に勤務。「フランス人の館長と共に、5年ほどギリシャのテサロニキ、ハンガリーのブタペスト、そしてパリ、という感じで文化活動の舞台裏をやっていました」。
パリ大学にて修士号(比較文学.言語学)とDEA取得(翻訳の理論と実際)。フランス人と結婚して30年になる。夫は元フランス大使館勤務で、彼女は外交官夫人として長年夫を支えていた。現在は「冒険好きの夫は誰も行かないような辺境の地を訪ねて飛びまわっています」。彼女が45歳の時の初産だった息子は、25歳の青年になった。
チハルのアパルトマンで(写真右:チハル)
コンサートでシャンソンを歌うチハル
人の感情を上手に表す仕事
しかし、外交官夫人としてだけではない。翻訳家としての仕事を持っていた。
「なぜ、翻訳の仕事を選んだか?家にいてできるし、日本語をいじれるから。私の好きな作家、しかも日本人にもアピ-ルするような作家を選んで翻訳しています。具体的には、まず出版社に手紙を書いて、その本がまだ日本語になっていないかどうか確かめて、出版社がOKを出したら翻訳を始めます。たいてい、口約束だけで。フランスの場合、最初の契約時に翻訳料は支払われ、売れたらその都度、何㌫か支払われますが、日本の場合この契約のシステムが整っていないので大変」
そして翻訳家としてのプロフェッショナルな言葉が続いた。
「翻訳は日本語がしっかり書けないとダメなのよねえ!日本人の頭にすんなり入らなくちゃいけないでしょ? そして私は何かを犠牲にしても、言葉の音楽性、リズムを尊重します」
翻訳とは何と複雑で大変な作業かと、私は聞いていてため息が出てしまう。訳した本の中で最も印象的な作品は?と問うと、即座に答えがかえってきた。
「エマニュエル・カレールの『冬の少年』かな。主人公ニコラのデリケートな感受性に心を打たれました。原題は『スキ-教室』でしたが、日本では『冬の少年』として出されました。これは映画化もされましたが、タイトルは『ニコラ』になっていました」。
そして、翻訳も通訳も「人の感情を上手に表すことをモット-として続けてきました」と胸をはった。
パリで
フランス語の真髄を追求
長い間フランス語とフランス人に接しており、良いも悪いも理解している彼女はフランスに対する気持ちを口にした。
「こんなに街や人々が美しく、生き生きしているのを見て、最初はフランスに嫉妬しました。今は誇りを持っています。私の普段の生活?遊び暮らしていますよ。でも規則正しい生活リズムを持って毎日仏語の勉強、つまりフランスの本を読むために費やす時間を多く取っています」
彼女は月2回のシャンソン教室の世話役をかって出てもう10年になる。3月25日には第6回目の日本でのコンサ-トも控えており、コンサートの通訳、司会も兼ねて里帰り。モーツアルトなど、クラシックの発声のレッスンも受けているが、これは「シャンソンと発声が異なる」。さらに、ピアノ、タップダンスも下手の横好きで続けている。日本では長唄と日本舞踊を習っていた。
リズム感と発声訓練でフランス語の真髄を追求している。「絶えず学び、そして遊ぶことが大好き」と楽しそうに笑う。そのためにフランス語を学ぶ学生や、フランス語は達者でも一人ではなかなか一冊の本が読み通せない日本人を自宅に集めて読書会を開いている。「私自身の勉強と楽しみだけど、参加者全員が自分に必要なものを掬い取っていくようです」
将来の翻訳は?「戯曲なのよ、今、コンタクトを取っている最中です。私自身以前から戯曲を書きたかったのですが、まだ実現していません」
約6年前、栃木県宇都宮市の「文星芸術大学」上野孝子理事長のパリ個展のオープニングに、通訳をお願いしたのが彼女との出会いであった。「華のある、聡明な人」として彼女に通訳をお願いした。
「あの時の上野理事長の絵は、とても心に残る作品でした。絵をモチーフにしたスカーフをいただきましたが、作品の素晴らしさを反映していましたね。同時展示の蒔絵の豪華さや、『黄ぶな物語』の絵本の朗読やアコ-ディオンコンサ-トなど、とても良い思い出になっています」
インタビュー後、彼女の手作りのりんごとクルミ入りの美味しいお菓子と紅茶をいただきながらも、話は尽きることがなかった。気がつくと冬のパリはもう暗くなり、時間はあっという間に過ぎていった。
東京チラシ
裏返しの男
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)