「北海の荒海が自分の故郷であり、あの激しい波と強風が大好き」と、目を輝かせ、両手一杯に表現するビルギット・ユー。私はカフェの中で大波に飲み込まれるのではないかと思った。それは好きな物事を伝えるために使われるヨーロッパ人の表現である。彼女は、楽器演奏、ダンス、歌、演技で培われた身体を使って私に伝えた。私はバルチック海を知っていると言うと、「おとなしい海よ」と一蹴された。「ドイツとデンマークの国境近くにシルトという北海に面した島があるけど、あそこは私にとって最高の場所。夏でも凄い波で寒い」と、まるでバイキングの末裔のような話しぶりが続く。
オペラ通りにて
ヴィオロンセルとの出会い
パリ郊外在住している彼女と、オペラ座近くのカフェで待ち合わせをしてインタヴューを行った。
彼女は北ドイツのハンブルグ生まれ。子どもの頃、母からフルートのレッスンを受けていた。しかし、「あのピーピーした音が好になれなかった」。ある日、べートーべンやシューベルトの曲を聴いていて「凄い音を出す楽器」に出会った。ヴィオロンセルだ。この大きな楽器が彼女にはぴったりに思える。
「あの当時は父から猛反対されました。女の子がこんな大きな楽器を……と、思ったのでしょうね」
1970年に音楽の再勉強のため南仏へ転居した。南西フランスのモンペリエで、楽器、声楽を学び、同時にプロテスタント神学を学ぶ。
やがて、カナダのモレアルのオーケストラで仕事をするが、北フランスのノルマンディのルーアンで「自分の道がはっきり分かった」。そして「この楽器を使用しもっと幅のある、自由で新しい形を造る」と決意した。
カフェにて
自宅にて
観客との交歓
彼女の新しいスタイルは、いろいろな楽器やさまざまな国の人たち(アフリカ、アジア、中近東のミュ-ジシャン、ダンサー等)とのコラボレーションである。ヴィオロンセルの演奏のみに止まらず、歌、演技、ダンサーたちと共に溶け込む舞台演出をしている。約2週間に1回のペースでコンサートを行っている。
「観客と近くでお互いのヴィブラシィオンを感じる事ができる、というのが大事なことです。喜びも大きいですね」。カフェでビルギットはよく話し、よく笑っている。舞台での真剣な表情しか知らなかった私には驚きであった。
「私は観客と真剣に向かい合います。それは別な世界に引き入れ、味わってもらうため。観に来る人もそれを求めている人だけ、それはアンティミィティとボテ(密接な内面と美)の交歓です」。交歓すること、これが多くの人を引き付ける彼女の舞台の魅力であろう。
Birgit YEW
ケルト人の精神を引き継ぐ「ユー(Yew)」
ケルト人は中央ヨーロッパの古い民族で、後で現在のドイツ、フランス、ベルギー、オーストリア等一帯に移動、他のヨーロッパの国に分散した。騎馬民族でもあるが、いわゆるヨーロッパ人の土台となった民族である。
彼女の自覚は、ケルトと巨木。ヨーロッパがキリスト教化される前の長い長いアニミズムの歴史が奥底にある。ケルト音楽、ケルトダンス等、北西フランスのブルターニュやアイルランド、スコットランド、ウエールズ、コ-ンウォルにも残っている。彼たちとのコラボレーションのコンサートも行っている。
ユー(Yew)という彼女の名前は英語でヨーロッパイチイ(*)のことである。仏語ではIf、何千年も経た古木もあるという。大きな楽器を抱え、大地に根を張り巡らした大木の意識があるにもかかわらず、軽く空に飛んでいる不思議な人、ビルギット・ユー。4人の子どもたちの母でもある。
ヨーロッパイチイ:ヨーロッパイチイ(欧羅巴一位、学名:Taxus baccata)は、イチイ科イチイ属の1種の針葉潅木。セイヨウイチイ(西洋一位)とも言う。(ウキペデイアより抜粋)
Sandrine Mercier
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)