ロシアの飛び地カリーニングラードからポーランドのビアロゴラへ
私(Tomoko)は毎年招待されているアート・ シンポジウム参加しているが、今年は、北ポ-ランドのバルト海岸の村、ビアロゴラ(グダニスクより60km西)で開催された。中央ヨーロッパの17人の作家達が2週間、衣食住を共にして作品を作り、シンポジュウム開催地の美術館で発表する。今年は、ドイツ、ロシア、ポーランド(北のグダニスク、中央のワルシャワ、南のクラコフ)から、そして私がフランス、パリから車でやってきた。他国の選りすぐられた作家達と共に、同じテーマで作品を競い、国境も言葉も人種も超えたアーティスト同士の情報と思わぬ話に、約半月の有意義な日を過ごすことができた。
ロシア人画家ヴラディミールとの出会いは、約15年前、北ポ-ランドの他のアート・シンポジウムだった。14、15人の作家たちの中で、あまり、他の作家と話すことがなく、居心地悪そうな感じも見えた。私は、そのような作家にとても興味を持った。厳しい眼差しだが、笑顔は子どもの様だった。彼が話す言葉はロシア語のみで、他国のロシア語を話せる作家とたまに言葉を交わしていたが、口数は少なかった。
ヴラディミールは1950年にロシアのトゥーラ(Tula/モスクワの南165km)で生まれた。75年に、3年間だけの仕事の予定でカリーニングラードに行ったが、そのまま現在まで滞在。「ここは、仕事もよくできるし、とても気に入った街。いつの間にか、37年もたってしまった」と話す。
カリーニングラードはロシアの飛地で、ポーランドとリトアニアに挟まれた人口100万人弱の街。1255年にドイツ人の東方殖民によってできた都市で、1946年まで使われていた旧名はケーニヒスベルク(ドイツ語で「王の山」)。バルト海の貿易都市で、カントの生誕地である。ポーランドの復興後は、一時ドイツ領に、その後ロシアの領土となった。バルト海を巡る歴史と政治に翻弄されてきた。
トモコとヴラディミール夫妻
魂の感動を経験
私はもちろん彼の作品にも興味があった。ユニークで力のある作家であることは、すぐに分かった。そして今日まで交流が続いているが、私たちの出会いからの信頼関係は、言葉ではなくお互いの感性と、私のいつもの興味津々の性格ということになる(この「パリ通信」のインタヴューは彼の妻である画家オルガの英語通訳で行った)。
その後、ドイツやポーランドなどの他国のシンポジウムで、ヴラディミールと出会うことがあった。その中でオルガと出会い、彼女の英語を通して少しずつ彼の立場も分かるようになってきた。
「なぜ絵描きになったのかって?私の人生と私の国を変化させるためにです。私は今、とても自由です。人生の最高の時と思っています」と話す。
ロシアに住みながら、原色で力強いタッチのヌード画をたくさん描いている。その作風からも彼の精神は、自由さが一杯だ。
「作品で重要なことは、魂の感動の経験をしなければ、他者に感動のヴァイブレーションを伝えることはできない。これが制作する上で大変です。来年もドイツやカリーニングラードでの個展を控えているので、毎日とても忙しい」と、描くことの喜びにあふれていた。
シンポジウムにて、前列右から2番目筆者。後列右2人がヴラディミール夫妻
ヨーロッパが目の前
オルガはドイツ語が上手で、英語とポーランド語が少しできるのは、ヨーロッパで活躍するのに彼にとってマネージャーもできる最良のパートナーである。
2006年、ヴラディミールは「ロシア芸術アカデミー」より、銀メダルを授与され、10年に芸術功労賞の勲章を授与されている。そして今年、ロシア大統領から「ロシアの名誉芸術家 」という名誉ある称号とメダルを授与された。いずれもモスクワでの授賞式に臨んでいる。息子二人は歯科医としてモスクワ在住している。
2年前、ヴラディミールとオルガは2日間かけて国際バスで、彼らの「憧れのパリ」に初めて来た。私の狭いアトリエで過ごし、パリを満喫して帰っていったのであった。
オルガは何年か前の長野冬季オリンピックに、ロシアの親善大使として日本に招待されている。
「日本の国では、日本人の心からのもてなし受けて、生涯の最高の思い出となりました」と、何度も私に話してくれる。特に「味噌汁の美味しさは忘れることができません。日本の美味しそうな伝統料理が目の前に沢山並んでいるのに、箸がうまく使えず何度口に持っていっても食べられませんでした。結局、フォークとナイフを頼みやっと満足するまで食べました。くやしかったの」と。このエピソードに私達は大笑いした。
ロシア人として恵まれた地理的環境にいて、積極的に西ヨーロッパとコンタクトを取って活躍できるアーティストが少ないだけに、夫妻の強いエネルギーが感じられる。
「カリーニングラードのいいところは 、ここが私の家であり、一歩出るとヨーロッパが目の前、創造的な仕事のために移動するのに最適な地」とヴラディミール。
数年前、私の招待作家としての個展が街の市立ギャラリーで行われるはずだったが、私のビザがパリのロシア大使館より下りたのが予定の3ヵ月後で間に合わず、キャンセルすることになったことがある。しかし2014年に再び個展が予定され、今度こそはうまくいくようにと願っている。パリに在住していても、やはり近くて遠い、遠い国ロシアである。
作品
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)