アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.20

造形画家-Ko Song Hwa【コー・ソンファ(高 松華)】-「書と版画」の合体芸術

パリの東、モントルイュに3棟の近代的な大きなアトリエ用の建物がある。30人近いア-ティストが個人的に安価に借りることができる。そのアトリエのひとつに住む現代作家ソンファさんを取材した。彼女はパリで約24年間在住し、制作活動を続けている。

「今はちょうど韓国の新年なんですよ」と、丸くて薄い餅の入った日本のお雑煮のような料理や、コンニャク(?)で作ったラーメンのような料理などをご馳走してくれた。赤ワインで乾杯しながら、私は初めて韓国のお正月料理にありついたのである。乾杯後の彼女の言葉は「私が長い間パリでこうして制作できるのは、両親のお陰です。その両親も何年か前に亡くなりました。もっともっと長生きしてもらいたかったですね」と、かつてお正月は両親と親族で祝ったであろうか。ふっと寂しそうな表情を見せたのである。

コー・ソンファ

恵まれた環境でおおらかに育つ

彼女は韓国のクンサン(群山市・ソウルから南約150km)に生まれた。クンサンは黄海に面した風光明媚な港湾都市として知られている。この地方最大の大地主の次女として、何不自由なく育ち、韓国では最高の教育を受ける。

「絵の道を選んだのは、子どもの頃から書道が好きで、家族もみんな書道をしていました。ごく自然の成り行きでした」と手で書の仕草を宙に書く。久しぶりに見る書家の仕草に私は日本を思い出していた。

クンサンの近くのイリ(IRI)のウォン-クワン(Won-kwang)美術大学を出、ムジュ市で美術教師として、中高生の指導。さらにホン-イク(Hong –ik)美大でさらに上級資格を取得、ソウルで美術教師として、子供達を指導し、その後、88年に母校ウォン-クワン美術大学教授に就任する。

「学生時代は具象画を、その後抽象を手がけました。いろいろな材料の版画もずいぶんたくさん制作しましたよ。そして、『書』も大学で4年間学びました」

20数年前にソンファさんの妹がパリの美術大学大学院に留学。妹がパリを引き揚げる1ヶ月前にソンファさんもパリへ。「パリで数年間か学び、そして母国へ帰るという予定でしたが、気がつくと24年も経ってしまったのです」

7人姉妹のうち2人が画家、他の2人がピアノ教師である。「1人の妹は日本人と結婚し、埼玉県に住んでいます。妹たちの2人の子どももすでに成人しました。20年前に日本に行きましたが、東京はソウルのようでしたね」

「そのときお会いした人たちから感じた日本人像は、枠にきっちり入っている感じで、息苦しくないのかなと思いました」(笑)。大陸的でおおらかにのびのび育った彼女の率直な感想であった。

コー・ソンファ(左)と筆者トモコ・オベール

作品に惹かれて続く友情

彼女はフランス語がとても堪能である。そのことに触れると、「ソウルで1年間アリアンス・フランセーズに通い、みっちり勉強しました。朝7時のクラスに出て、その後、仕事へ行きました。パリでも毎朝仏語のクラスを取り、午後はアトリエ17の版画工房に行きました」。ソルボンヌ大学で造形絵画の上級研究資格を取得し、博士課程へと進む。韓国でもパリでも変わらず勉強家である。

彼女と私(筆者Tomoko K. OBER)との出会いは約15年前の展覧会会場であった。口数が少なく「真面目そうな韓国の女流画家」という印象だった。しかし互いの作品のオリジナリティに惹かれ、友情が続いていた。

一昨年、韓国の企画で韓仏アーティストの展示会がパリの画廊とユネスコで行われたが、ソンファさんは10人ほどの韓国作家の中で名誉作家として招待された。フランス側では4人の招待作家が選ばれたが、私もその中のひとりであった(筆者はフランス人と結婚しフランス国籍を取得している)。お互いに同じ展示会で作品を出展するのは実に刺激的で楽しいことであった。

Instalation-2008

大事なことは集中力

私は最初、彼女の作品は半立体の木彫のように見えた。しかし「キャンバスに油」と聞いてあれっと思った。よく見ると溝が沢山彫ってあるように見え、色数も少ない。これが彼女のいうところの「書と版画を土台とした」作品なのか。

例えば2009年以降のシリーズは「緊張と自由」を描き「静穏」を表している。そしてこの溝は「波紋」、ラインは「虹、光、陰影」「力と繊細さ」であると。作品から強力なイメージを受ける。彼女のような造形作家は単にキャンバスだけの制作ではなくて、版画や空間芸術であるインスタレイション等、材料を問わずに作品を造ることであり、ヨ-ロッパの作家にも多くみられる。

「制作をする上で、大事な事は集中力ですね。しかし、私の仕事で一番難しいことは売ることですね(笑)。でもその難しい仕事を続けます。それは、続けるためのエネルギーでもあります」

2013年もパリで何箇所かの展示会が決定しているという。ヨーロッパそして韓国などで毎年作品を発表し続けている彼女は、まだ長くパリに滞在し続けるであろう。

最後にフランス人のメンタリティに関して率直な一言をと問うと。 「そうね、瞬間的な愛はあっても永続的なものがない。『じゃまたね』といった感じで……」

私のフランス人の夫が聞いたら、さぞかし有意義な激論を闘わせることであろう。

作品の前で

Gravure (La situation 89-I)-1

Gravure (La situation 92-VI)-1

作品

作品

TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。現在、ミレー友好協会パリ本部事務局長。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。