フランス、モンモランシーの街で
画家イードゥ・ヤクビは、約27年前からフランスの街モンモランシーで創作活動をしている。モンモランシーはパリより北11、2kmのイル・ド・フランス地方のヴァル・ドワーズ県にあり、昔から貴族たちの別荘地として栄えた自然豊かな地域である。丘の斜面を利用した起伏に富んだ街並みに、馬車のヒズメが聞こえてきそうな細い石畳の古い路地が交差している。彼は街の高台に住んでいた。街は中世の城壁、要塞、古城跡が保存されていて歴史的遺産の宝庫である。
18世紀には哲学者ジャン・ジャック=ルソーもこの街に住み「新エロイーズ」「社会契約」「エミール又は教育について」などの名著を書き上げた。ルソー博物館、サン・マルタン参事会教会などから歴史をたどることができる。シャルル・ルブラン(ヴェルサイユ宮殿や他のお城の室内装飾家)、フランス印象派の画家カミーユ・ピサロ、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネ、ドイツの作曲家リヒャルト・ヴァーグナーたちもこの街に滞在し創作活動をしていた。彼らアーティストたちを受け入れ援助した貴族やブルジョア達が、このモンモランシーに小城や別荘を構えていた。
かつてはサクランボの産地として有名でありモンモランシーの名にちなんだサクランボ入りお菓子が今も作られている。
私(筆者/トモコ・k・オベール)は10年前にパリのシリア文化会館から招待されて個展を行ったが、準備のときに絵の搬出をしていた彼と出会った。4年後、彼はモンモランシー市文化会館での展示会に2人展として私の出展を企画してくれた。その後、彼の個展が現代絵画センターで行われ、市長をはじめ市関係者の参加で開催された盛大なオープニングパーティーに私を招いてくれた。私と彼は国も人種も言語も文化も超えたアーティスト同士の認め合い尊敬し合う堅実な交流が続いていた。
イードゥ・ヤクビ
モンモランシーの高台より街を見下ろす。17km先にエッフェル塔がみえる
イードゥの作品の前で筆者トモコと
ルソーの像
シリア美術界に貢献した作家
イードゥは1932年にシリア・アラブ共和国の古代都市ダマスカスで生まれ、ダマスカスで教育を受けた。古代からの西洋と東洋の十字路。宗教、文学、歴史、経済、戦争、平和等、人間の行ってきた歩みが積み重ねられた都市ダマスカスである。
今回のインビューでは、いつもの穏やかな顔と声から彼の人生の一端に触れることができた。
「幼児の頃から絵は好きでよく描いていました。特にデッサンが好きだった。ごく自然に美術大学に進みました。大学で基礎を学び、その後自分の形や色を見つけ、さらに現代センスで表現することが創作の土台となりました。正確に言うと15歳の時、私自身が自分の歩むべき道を発見したのです。当時は印象派のような具象と自画像を描くのが多かった。27歳の時、初めて団体展に参加して評価を得たのです」
その後、国内外での展示で発表し頭角を表す。サンパウロ(ブラジル)、アレキサンドリア(エジプト)・ビエンナーレで栄誉あるメダルを受賞する。
最初の個展は1971年42歳の時。以降、ドイツ、フランス、ブルガリア、イラク、モロッコ、クエートなど海外での作品展示会を多数開催。1977年に20人のシリアを代表するアーティストの一人に選ばれ、パリのグラン・パレ(1900年のパリ万博時に建設されたフランス国立展覧会場)に招待されている。「フランス・シリア展は生涯の良い思い出のひとつです。ダマスカス時代の私の立場は美術大学の教授やシリア作家協会の幹事長など兼任していて、とにかくとても忙しかったですね」と目を細める。良き時代のシリアの国の思い出でのひとつである。
1991年には、シリア大統領ハーフィズ・アル=アサド(現大統領の父君、2000年死去)より、シリア美術界に貢献した優秀な作家として国から金メダルを授与された。「これ本物の金でしたよ」とさらに笑顔がもれた。ダマスカス国立美術館、美術大学、ブルガリア美術館などにも彼の作品は収められている。
シリアのアサド前大統領(中央)とイードゥ(左)
イードゥの個展オープニングのテープカット。前列左から2人めが妻ドハ、3人目がイードゥ。4人目の女性が文化大臣
ダマスカス時代。アトリエで創作するイードゥ
どんな状況でも描くことができれば苦にならない
イードゥの絵はとても若々しく美しい色と構図である。真四角なキャンバスが多い。「私にとって真四角は宗教に関係なく、静寂さと完成度の高さがあるので好きです。描かれている絵の周りにアラビア語が書かれている。それは「愛の詩」が書かれているという。「私はアラビア習字も書きますので作品にしています」
彼が発するアラビア語は美しく滑らかで品性がある。インタビュー中に何回かダマスカスやサウジアラビアの家族から電話があったが、私はその音に耳を済ませて聞いていた。ちなみにイードゥは「祭り」の意味がある。
インタビュー終了後、12月にパリのシリア文化会館でイードゥと3人展を予定しているシリアのアーティスト夫妻と合流した。それぞれ非常に堪能なフランス語で会話がはずんだ。1920年から26年間、シリア、西隣のレバノン共和国、トルコ共和国のハタイ県を含め、ダマスカスはフランス委任統治領シリアの首都となった経緯がある。1946年、フランスから独立した。
「私は絵を描く事が好きだからどんな状況になっても苦にならないのです。自分の内面を自由に表現できることが本当の喜びです。そして、私はモンモランシ-の街が心から好きです。今も気に入ったカフェで人々の様子をカリカチュールでよく描いています」
以前、彼らと行ったカフェ「白馬」はピカソら一連のアーティストたちも来ていたところだ。当時、貧しい画家が食事代として白馬の絵を置いていったというエピソードがある。その絵がカフェの看板になって親しまれている。
「日本人の絵はたくさんの光と太陽を感じます。やはりオリエンタルの共通点があるのでしょうか。日本アートの奥ゆかしさ、培われた文化、そして受け継がれてきた伝統など、これは同時にシリアにも感じさせられるものです。2年前、私たちは福島のために深い悲しみに覆われました。少しでもお役に立てばという気持ちで私たちは大阪にあるミレー友好協会(「落穂ひろい」で著名なJ.F.ミレーの直系子孫のマダム・ミレーが名誉会長、トモコはパリ本部事務局長)を通して絵を寄贈させていただきました」
彼の妻であるドハ(Doha)の支えは大きいという。ドハはダマスカスで弁護士として働いていたが、職を辞して彼の助け手としてフランスに移り住んだ。彼の愛のある作品は、妻ドハの存在ゆえに描くことが可能なのである。
作品:マルーラ村(ダマスカスの北・アラム語を話す村人が住む)
アラビア文字をモチーフにした作品
アラビア習字で愛の詩が描かれている作品
愛妻ドハとサロンで
モンモランシー市庁舎
カフェ「白馬」
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)