プランネールは「戸外でのアート」の意味。アーティストたちが夏に海辺、森林、山、田舎等に集まり、寝食を共にし作品を作り発表することである。ヴァカンスを兼ねて町の活動の一環として行われる。今まで、私はドイツ、オーストリア、クロアチア、リトアニアそして15回以上のポーランドのプランネールに招待された。
7月初旬から中旬にかけて、ワルシャワより100kmほど西にあるルッチンでのプランネールへの招待があった。8月上旬には、フランスのブルゴーニュ地方での展示を控えていたので少し躊躇したのだが、一緒に招待された友人のフランス人作家マリリンヌと共にポーランド行の飛行機に搭乗した。
伯爵家の館で
ポーランド共和国の首都ワルシャワのショパン空港に到着すると責任者のマヤが車で迎えに来てくれていた。フランス語の上手な彼女との最初の出会いは約14年前の北ポーランドでのプランネールであった。その2年後、マヤの企画責任でウオンツク(ルッチンの近く)でのプランネールに招待してくれたのだった。
1時間半ほど田舎道を行くと、あちらこちらに湖水が見えてきた。中央ポーランドもやはり湖や沼が沢山あり、「森と湖の国ポーランド」が身近に迫る。この地方は「白雪姫と7人の小人(日本語タイトル)」の童話に出てくるような古い家もぽつぽつと残っていて、家々の庭や街路には、りんご、すもも、などの果樹があり、見慣れたポーランドの風景に安らぐ。
門から続く広大な公園のような庭園から木々の奥に白い館が現れた。1868年に建てられたネオクラシック風のポーランドの伯爵ルテシヨウ家の館であり、その館が私達の宿舎であった。歴史をたどると数回家主が代わっているが、第二次大戦中はドイツの行政管轄として利用されていた。その後、なんと中学校が利用しているという。私とマリリンヌの部屋は2階中央の一番大きな部屋を与えられた。
私たちが館に着いたときは、既にポーランドのアーティストとゴスチニン市の市長夫妻や関係者が揃って待っていた。ルッチン村の隣のゴスチニン市が今回の重要なスポンサーで、主催者のマヤとの協力でプランネールが実地されることになったという。
フランスをはじめとするヨーロッパは歴史的にアーティストを保護し支援しながら芸術作品を残してきた。ポーランドでもアーティストをとても大切にしてくれて、毎年このような芸術展を開催する。12、3人のアーティストに対する宿舎、食事、画材(キャンバス、筆、絵の具)、展示に係わるすべてと、観光付きのこの1週間のスケジュールの全経費を負担し支援してくれる。
ネオクラシックのルッチンの館
招かれたアーティストたち
歓迎会にて。左からマリリンヌ、カロール、筆者、市長、マヤ
歓迎会にて。左からマリリンヌ、カロール、筆者、市長、マヤ
ポーランドのアーティストの卵たち
観光の一つは、近くの村のサンニキ(Sanniki)にピアニストのショパンの友人が所有する豪華な館。ショパンの生家もこの館の近くにあり、12年前のプランネールの時は、ここでピアノコンサートがあり感激して聴いたことが懐かしく思い出された。
今回のプランネールで特筆することは、アーティストを目指す選ばれた16人の中学生が、さまざまなプランに参加するということだ。館に隣接する生徒用の寄宿舎で寝泊りし、食事も私たちと食堂で同じものを食べ、毎日、先生と一緒に車に乗ってスケッチに出かけ、展示会をしたことである。
私は中学生の芸術教育にとても興味あり車に同乗して、教会・お城・中世の村などを一緒に回った。それにしても、生徒たちの先生に対する尊敬や従順な態度にはびっくりさせられた。他の国では失われつつある師弟関係が、今も保たれているような教育現場であった。
私はマヤの依頼で中学生たちに習字の指導をすることになった。しかし、習字用の筆、半紙などはなく、墨汁が少しあるだけ。しかし、私はどの国に行っても材料には文句は言わず、その場にある材料を用いて行うことを心がけている。マヤのポーランド語の通訳を通して、1時間ほど習字の初歩を説明した。中学生たちは緊張しながら私の話を聞きてくれて一生懸命、初めての「お習字」をしてくれた。
教師のアニアもプランネールに招待されていた。彼女は英語が少しできるので、食事の時はいつも隣同士に座り、戸外へ行くときのバスの中ではiPhoneを開いて家族の写真を見せてくれた。見学の時は通訳をしてくれたので随分助かった。四六時中いつも生徒たちと一緒に過ごす背の高いガッチリした青年がいた。この男性は一体何のために一緒にいるのか?と疑問に思いアニアにそっと尋ねると、「体育の先生ですが、生徒たちが無事8日間過ごせるようにとの配慮で、今回は身辺保護のガードマンのような立場で守っています」と。なるほど安全面もきちんと考慮して課外授業をすすめているのがわかった。
また、12年前のプランネールで会ったワルシャワ在住の作家カロールにも会うことができた。今は美術作家協会の会長として活躍していた。久しぶりの再会に、フランス、ポーランドの現代芸術など貴重な話を交し合い意義深い時も与えられた。
サンニキのショパンの友人の館
サンニキのピアノのある部屋
ショパンの像の前で教師のアニア(左)と
アーティストの卵たち
豊かな自然の中での創作
宿舎の館からは、公園の大きな木々とそれに続く林、そして小川を眺めることができる。徒歩で約3kmのところには大きな湖があり、早朝往復1時間半かけ森を抜けて湖まで何回かウオーキングをした。白鳥が4羽の若鳥と浮かんでいた。童話の世界のような湖の風景だった。太陽の少ないパリから比べ、連日38℃の刺すような太陽が嬉しかった。
庭には野生の赤リス、ウサギ、何種類もの小鳥、そして大きなワシやコウノトリが、空を悠々と飛んでいるのを毎日見ていた。コウノトリは春に生まれた雛が成長し、秋には一緒に北アフリカに向かう。野原に舞い降りてきてモグラやカエルなどを捕食していた。
この自然の中で朝から夜まで自由に創作できるのは、私にとって夢のようだった。食事時間に美味しいご馳走を食べにいけばいいだけ。全て忘れてキャンバスに向かうことができるのだ。湖も自然そのまま。湖には地元の人たちが泳ぎにきていて、ヴァカンスを楽しんでいた。
丁度この時ワールド・カップのドイツ対ブラジル戦があり、TVの放映を見るために7キロ先のゴスチニン市まで車で行った。作家の家の野菜や果物の木のある庭先にTVを設置しウオッカをご馳走になりながら観戦した。ブドウの木で日蔭作りのための棚にしてあり、小さい青いブドウが一杯さがっていた。
この作家の敷地には昔のままの家があり、中を案内してもらったが、天井は低く、こじんまりとしていた。昔は電気も水道もトイレも無かったので、改造して物置と仕事場にしている。やはり便利さを考えたら「7人の小人」のような家には住めないという。当然今は、近代的なアパートや広く便利な1戸建に住んでいるので、昔ながらの家屋は廃墟になっているところが多いそうだ。
これだけの豊かな農地と暑い太陽が降り注ぐポーランドだが、ワインは作られていないのか?1回もワイン畑もワインボトルも見たことがない。隣国の美味しいワインがここに輸入されている。特にハンガリアやブルガリアそして他の中欧はワインの産地。マヤの話では「今まで色々な人が試したけれど味がよくないのです。隣国と地続きでも、たぶん土壌が違うのでしょうね。それにビンの製造が高いのですよ」。(お店にどんなビンでも持ってきて換金してもらっているのを何回か見たことがある)。
日常のパリでの生活と全く違った環境の国で、言語も文化歴史も発想も異なった人々に囲まれ、まるで日本語で言うところの「浮世を離れた」ような気分であった。何よりも自分の創作にプラスになった。市長やプランネールの責任者から「来年もご招待いたしますので、是非、いらっしゃってください」と、ていねいな言葉をいただき、素晴らしい仲間たちに別れを告げた。「ドヴィゼーニャ!ジンクイエ。さようなら、ありがとう」
民族衣装を身につけた村人と
館の敷地にあるモダンな新しい教会
湖でヴァカンスを楽しむ人々
コウノトリ
<作品制作中の筆者トモコ
筆者の作品の前で
公園の大きな木々
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)