ジルは1950年パリ郊外のモンモランシー生まれ。父親は有名なフランスの性格俳優ジャン・クラリィウ(Jean・Clarieux 本名ガストン・クレベール・シャンボン 1911-1970/画家でもあり長年アメリカ俳優のアンソニー・クインの声優もしていた)。個性の強い父親からの影響は大きいようである。
「父からは絵画の影響を最も強く受けました。こどもである私は直接的には俳優の仕事をしている父より絵を描いている父の姿をより身近に見ていたので、そこから背中を押された感じでした。汚くて古いけど、父の愛用のパレットを記念に大事に取ってあります」
彼の父は俳優として1940年代から60年代には大いに活躍していた。「1946年に父は第1回カンヌ映画祭で彼の主演した映画『戦いの路線(ドイツ軍への抵抗の戦いを描いた)』でパルム・ドールを受賞しました」と父に対する尊敬の念をもって語った。
ジル・シャンボン。作品の前で
ボルドーワインに囲まれたアーティスト
ジルは、パリの国立高等美術学校(ボザール)を卒業。68年に学生運動の先駆でもあるいわゆる「5月革命」を経験。その後、建築を学ぶ。75年から2年間、アルジェリアのコンスタンチンで教鞭をとる。フランスに戻り、絵画、バンド・デシネ(コミック・ブック)、文筆活動へと才能を開かせていった。
1990年、ボルドー(*1)から西50kmの地、銘酒サンテ・ミリオンのブドウ畑の近くに移り住み、現在に至る。
「15m×15mの大きな屋根と壁のある納屋のような家を買ったのです。妻と2人そして傍に住んでいる兄達と、長年かけてアトリエと部屋を造りました。当時はお金も時間もなくて大変でした。ボルドーの美術大学やその他の美術大学の教授として25年間教えていました。妻はベルギー人でやはり建築家ですが、娘2人もまだ小さかったので……。若さだけでなんでもできたのです」
彼の建物の設計は公共施設が多い。ホール、市役所、学校といった集合施設の建物が専門である。しかし、現在の状況は1つのプロジェクトに対して数十人もの建築家が応募するという厳しい時代でもあると話す。
ワイン畑に囲まれてフランス人にとってとても良い環境に住んでいる彼はやはりワイン造りにも興味を持っていた。
「私も兄の持っている何ヘクタールもある畑で自分のブドウを育ててワインを造りしましたが、やはり手間をかけなければ良いブドウは育ちませんので、つい時間を取られて自分が最もやりたいことができなくなってしまったので途中で止めました」
ボルドーをはじめパリでも個展を開催する彼であるが、カフェで彼の話を聞いていると、学生時代にパリで過ごした彼の青春の光がちらついてくる。
ジルと筆者トモコとジルの作品の前で
不思議な絵
彼の作品は時空間を超えている。そこには過去の人々と現代の人々が入り混じっていて、背景は古代ローマ時代、中世、近世であったりする。その当時の作家や現代の作家や自分もそこに描かれている。それは彼のネーミングタイトル「同時性絵画」とよばれている作品である。彼のテキストは難解な文章なので、簡単に説明してくれた。
「私の初期の作品は『同時性』をイメージして作りました。特にキュビズム(*2)は、私の意見では絵画空間の分野で最も偉大な革命だったと思います。彼らは美的自律的リズミカルな音楽的なタイプに絵画的表現を開き、意図的に現実の表現を離れたのです。そして、現在の仕事は絵画の歴史の中で、以前の作品の夢の顕現のキュビスムの空間的音楽性を楽しんで、両方の方法を再生する事なのです。『同時性』の賭けでもあります。つまり巨匠の絵画の伝統に、具体的な数値の超暗示の重要性を、現実から離れた美的ロジックと詩を組み合わせたものです」と話す。話をまとめて日本語に訳すのには難しい作業であった。
「80年代は水彩が主で、テーマはビルをイマジネーションで描いていました。その後、やはり油絵で建築的要素をテーマにして描きましたが、それはクラッシック絵画や宗教画とのミックスです。今も続いているテーマですが、古典絵画の中に自分の絵を描き入れた『同時性』を用いています。つまり自分の昔のアイディアが現在まで続いているのです。今はパソコン上でも作業ができるようになりました」
ジルの作品(展示会にて)
妻アンヌと。ジルの展示会場で
日本の古い建築は素晴らしい
彼は7年前に初めての著書を出版している。『アンティーイの思い出』という科学小説である。「バンド・デシネ(BD-フランスの漫画)のために原作を書いていたのですが、BDをやめてそれらを元に小説にしたのです」。父の影響か?彼の長女がBD作家になり、近いうちに出版されるという。
「ア-ティストは大変だから学校の教師をすすめましたが、彼女自身の決定なので、しかたがない」と、ふっと父親としての顔をみせたが、彼の根底にある生き方はボヘミアン的なアーティストで、若い学生のままの生き方を楽しんでいる。
彼と家族は親日家であり、2001年には家族で興味深かった日本に観光に来ている。
「妻と娘の3人で10日ほど滞在しました。大阪、京都、姫路、岡山、とその近辺を周りました。特に古い建物に興味がありました。つまり神社仏閣、日本庭園、日本画を見ることが主な目的でしたが、とても素晴らしく時間が足りませんでしたね。京都などの日本の古い民家と超現代建築が同じ場所にあるのはとても不思議でした。食べものもおいしいですね。寿司、刺身、鍋物、オムレツ、味噌スープなど、たくさんおいしいものを食べました。初めて口にしたものもありましたが、どれも全部食べましたよ」と懐かしそうに話してくれた。2001年から現在まで大阪市立美術館での「ミレー友好協会」日本支部の展示会に毎年作品参加をしていて、日本とフランスの芸術を通しての文化交流に貢献している。その間、同協会より幾つかの賞を受賞している。
「また、いつか日本に行ってみたい」と、パリの秋の風景の中で、ジルと私は日本を遠くに見据えていた。
1)ボルドー パリから500km、フランスの南西部にあるボルドーワインの産地。ガロンヌ川を中心に発展。B.C.1世紀にローマ帝国に占領され、ワイン生産が盛んで商業地として栄えた。その後、ゲルマン民族のゴート人、ノルマン人のヴァイキング、イベリア半島からのイスラム軍、1154年アキテーヌ公女エリアノールがヘンリー2世(後のイングランド王)と結婚し、12~15世紀はイングランドの支配。100年戦争の末1543年にフランスに帰属。第2次大戦中はドイツ軍の支配下。海と川の地の利の良さと豊穣な文化で何回も他民族に支配された。フランス最大の学生町。
2)キュビスム 20世紀初頭ピカソとブラックによってフランスで興った芸術活動。今までの具象画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対して色々の角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネッサンス以来の一点透視図法を否定した。それは対象を多角的に解体し、細分化して再構築する事で絵画を外界から自律したイメージとリズムを持つ世界に作り上げた。
作品『clairvoyance-du-cyclope』
作品『cent-titres-ce-ne-lt』
ジルのアトリエ
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)