アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.4

シャンソン歌手・女優-Jacqueline Danno【ジャクリーヌ・ダノ】-歌も演技も「本物であること」

フランスと日本の深い友情関係

私がシャンソン歌手「ジャクリーヌ・ダノ」に会うのは今回が初めてではない。パリの劇場や老舗のシャンソニエ「ル・コネッターブル」のコンサートで、すでに彼女のシャンソンの真髄に触れていた。彼女のコンサートはフランスを初め世界中で開催され、日本でも彼女の歌は多くのシャンソンファンを魅了してきた。

シャンゼリーゼ近くの歴史あるホテル。時間が止まってしまったかのようなゆったりした空間で彼女と会った。挨拶のあとに、突然「私はとても満足です。もっと日本にいたいです」と、リラックスしたインタビューの際に白ワインを飲む前にも「かんぱい!」と、日本語が飛び出した。

日本は約30年前、私の友人であるヒロフミ・チョウナン(パリ在住・日仏シャンソン協会パリ事務局長)が、彼女を日本に紹介したのがきっかけで、何回かコンサートのために訪れた。シャンソンを通しての長い日仏交流の中で、日本人の微妙な心使いや仕草など感じ取っていた。特に、名古屋市の「日仏シャンソン協会」会長の加藤ハツさんと支局長の加藤修滋氏のことは顔をほころばせて話してくれた。シャンソンを通じてフランスと日本は深い友情関係で結ばれていた。

ジャクリーヌ・ダノ

演劇学校を目指してパリへ

少女時代に触れると「私は成績の悪い出来ない生徒で、算数なんかぜんぜんだめだったけど、本を読むのが大好きだったの。10才の頃にはむずかしい古典や大人の読む本まで手を出していたのよ。そしてストーリーもよく頭に入り、この点に関して記憶力はよかったの」と。少女時代に興味を持ったことが、今の彼女の原点となって大きく人生に影響しているようだ。

彼女はフランスの北西ブルターニュのルアーブル(フランスでも有数な港町)に生まれた。祖父は漁師でそこは良質の鱈が水揚げされた。父親も船員で何ヶ月も家を留守にしていた。家族は父が無事に帰ってくることをいつも教会で祈っていたという。3代目の彼女もどうしても海に出たかったがあの時代は「女」は無理だったようだ。ブルターニュの海の男の荒々しさと頑固さが彼女の中にあり、歌もその片鱗が見られる。やがて教師に「この生徒は相当な本を読み、記憶力も抜群。文才もあるから」と演劇への勉強を進められた。19才で「海がだめならパリへ行こう」と別な荒海を見つけた。そして演劇学校に入る。パリではアルベール・カミュ、ジョルジュ・ブラッサンス、ジャック・ブレル等と出会い親しく交流する。

舞台(Photo:P.LENGLIM)

シャンソン歌手の道

ニースで貧乏生活しながらも演劇活動していた。彼女の小さなアパートに泥棒が入り、お皿の下に隠しておいたお金をすべて盗られてしまった。家賃や生活費を稼ぐためにナイトクラブで詩の朗読をして稼ごうとしたが、詩では客は面白がらず、歌にしてくれと言われ、歌手としてステージへ……。シャンソン歌手としての道のはじまりであり、「あの時の泥棒のおかげよ」と。

ニースのナイトクラブで歌っているときに、ミレイユのプチ・コンセルヴァトワール音楽学校で本格的に学ぶことを進められパリに戻る。モンマルトルのビストロでジプシーと歌ったり、ジュリエット・グレコやモーリス・ファノン、G.ブラッサンスらのステージから声がかかり実力をあげていった。シャルル・アズナブールの作詞作曲の『君はわが命』、J.ブレルからは『行かないで』を歌う彼女に「愛しのマチルダ」の女性版『フランソワ』の曲が彼女に捧げられた。彼女にとって真の成功は、「本物であること」という意思の基に、いわゆる商業ベ-スに乗らず、彼女の言う「自分で納得したものだけを取る」という頑固さであったのかもしれない。

若き日

歌手、女優、そしてヒューマニスト

彼女の活動は、パリ、ニューヨーク等のナイトクラブへの出演をはじめ、テレビでは、歌やドラマに出演している。さらに日本を含め、各国のシャンソンフェステバルやコンサートに招かれている。舞台はあの有名なパリのモガドール劇場で公演された「キャバレー」でシュナイダー夫人役、「どん底」ではワシリイサ役で成功を収める。またドストエフスキーの「悪霊」「罪と罰」等、多くの舞台に出演。特に悲劇や個性派といわれる役柄を得意としている。歌手として女優として活躍の場は幅広い。

そして、もうひとつの彼女の活動の場は、アフリカの子供たちや女性たちのための支援である。アフリカ現地を尋ねて支援を続けている「ヒューマ二スト」である。

彼女は、3・11の日本の大震災と原発によるさまざまな破壊や絶望的な状況を、メディアを通じて見て胸を痛めている。「あのような状況の中で、日本の人々の心の奥からの静けさ、道徳、精神の高貴さを見てフランス人は感動しました。それは私もとても良く分かります」と、真剣な眼差しで話す。

彼女の純真な感動や機知に富んだ会話は、実にみずみずしく若さにあふれていた。加えてブルターニュ地方の気質か、おおらかでたくましい魅力を兼ね備えている。キュートな笑顔の彼女は今年80歳。

ブラボー!ジャクリーヌ!

トモコとジャクリーヌ

TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。現在、ミレー友好協会パリ本部事務局長。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。