パリの北を抜けた郊外のサントーアンに高級アンティークの宝庫として知られるクリニャンクールの「蚤の市」がある。公には1885年に始まったとされているが、それ以前から市はあったようだ。もちろん中世にはパリのあちこちに小規模ではあるが市民の知恵として「蚤の市」が存在していた。現在では年間1千万人以上の人たちが国内外から訪れる。
世界中の有名人もお忍のびでサングラス(?)をかけて来るという。映画の舞台としても良く使われ、例えばウディ・アレン監督の「ミッドナイト・イン・パリ」にも蚤の市が出てくる。
市は高級アンティークやデザイナーズブランドのショールームごとに5カ所に分かれて専門化されている。この市の特徴はそれぞれの店が個性豊かな品物を並べて客の目を惹くが、それに負けず劣らずの癖のある店主が必ずいることだ。この地区の周りには、世界中からやってくる観光客を目当てにガラクタや安物の衣類、靴、バッグなどを売る黒人やアラブ人たちの露店商が群がっている。
ブリュノ=ジャン・エルゲン
才能とは望むこと
マルシェ・ドフィンヌにひと際人目を惹く現代的なギャラリー件ショールームがある。オーナーのブリュノ=ジャン・エルゲンがアートな空間に溶け込むように「ヘミングウェイのイス」に座ってコンピューターに向かっていた。店内は木とメタルの組み合わせでユニークな形のがっしりとしたテーブルなどや様々な形のオブジェが展示してあった。
インタビューはドフィンヌにある老舗レストランでランチをしながらだったが、周囲の人たちは彼に親しい挨拶と笑顔を送っていた。
「私の店は今年の3月にオープンしたばかりです(取材は8月)。前の店も現代家具を扱った店だった。マルシェ・ドフィンヌに出店するためには、オリジナルな作品ではないと許可されないのです」と、出店の権利を取得するための厳しいルールを説明してくれた。「お金さえ出せば」なんていうことは通じない。それは「クリニャンクールの蚤の市」という場所の歴史がそうさせているのだった。
「ドフィンヌの店主は、一国一城の主だから個性も強く頑固です。自分が一番だからジェラシーも強い。私はフランス人だから第一関門は大丈夫だったのです。さらに、他のオーナーは作家から作品を仕入れて販売していますが、作品つまり商品は私自身のオリジナル作品なので、出店できる条件の強みとなったのです」
アートデザイナーである彼自信のアイディアによる商品なので、制作と販売が直結しているということも利点となったようである。「店の内装も私のコンセプトを取り入れて改装しました」と、アートデザイナーのセンスの良さが十分にあふれているギャラリーである。
「しかし、一番難しいことは売ることではなくて、斬新なアイディアで次の作品を考えることです」と話す。それはそうだろうなと画家である私自信が身につまされることばであった。そして次の作品のイスの写真をiPadで「これ、いいだろう」と見せてくれた。あなたは才能がありますねと言うと、「『天才は与えられ、才能は望むこと』というフランスのことばがあります」と、優しい笑顔で語った。
ブリュノと筆者トモコ(右)
マルシェのショールームの入口
人目を惹くショールームのウインドウ
作品が置かれているのショールームの中
バリ島に惹きつけられて
ブリュノはインドネシアのバリ島にも住居を持っている。バリ島の話になったら生き生きとしてさらに多弁になった。
「バリ島に住むようになって20年近くが経過しますが、フランスの美術大学で映画と写真を学び、卒業後は映画監督のアシスタントと写真撮影を15年位やっていました。その頃ヴァカンスはまだ行ったことのない遠い所に行きたいと思い、それでバリ島に行ったのがきっかけです」
パリジャンを惹きつけて虜にし、在住させるまでの魅惑の島バリ。その島で彼はアートデザイナーとしての仕事の基礎も作った。島にブリュノのヒット商品がある。
「最初の頃のヒット作は『ゲコ・スピリット』、ゲコというのはヤモリのような爬虫類、家の天井にごそごそいるのです。これは虫を食べてくれるのでいいのですよ。私はゲコの玩具を木で作り、腹にゲコのひょうきんな鳴き声の機械をはめ込んだのが馬鹿売れしました。島でも有名です」
バリ島には彼の家とアトリエ、そしてショールームがあり写真を見せてくれた。
「主なアシスタントを20人ほど使って仕事の指図をしていますが、その他にスタッフはたくさん必要として雇用しています。パリのショールームにあるテーブルやイスは1点物でバリ島の古く硬い木を使っています。バリ島では木を切ってはいけないので全て廃材や、壊れた古い船の舳先などを利用してオブジェを制作しています。必要な木はすべてジャワ本島から取り寄せています。丸い地球シリーズは地中の中に埋まっていた巨大な根っこを用いて制作した作品です」。ユニークな地球儀のオブジェはショールームの前面にあってとても美しく人目を惹いていた。
「いつも仕事を兼ねて世界中を移動しています。パリが5ヶ月間、バリ島が4ヶ月間、ニューヨークとロサンゼルスが3ヶ月間というような具合で、いつも飛行機に乗っている気がしますよ。お客様がそれぞれの都市にいますが、私は英語は得意なのでどの国でも英語で商談ができます。またインドネシア語も不自由をしません」と、私にはきれいなフランス語で話してくれる。広い世界から見た感性を生活の中のオブジェに託しているアートデザイナーである。
日本に関して尋ねると、日本人にはとても良い印象をもっている、仕事上でも良い友人たちがたくさんいると話す。
「日本語は話すことができませんが、日本人は英語が上手なので助かります。バリ島にはたくさんの日本人観光客が来ますし、在住していてとても良い仕事をしている日本人たちもいます」
数年前に洪水がありバリ島の一つの村が全滅したことがあったが、彼は日本からもたくさんの支援を受けたことなど日本とのエピソードを披露。「特に竹の寄付はとても有難かったですね。燃料の竹墨を作るために用いることができたからです」
ブリュノは最後に懐かしむように尊敬する彼の祖母の話しに触れた。
「私の祖母は腕のいい料理人でシャトーの料理番でしたが、私に『いい物、いい人に会いなさい』ということばを残してくれました。このことばが私の心にいつもあります」
この日ブリュノと2人で食べた美味しい肉とポテトと1本のロゼワインは、1時間半でお皿とグラスは空っぽ……。いい物、いい人と出会った楽しい一日であった。
ショールームをのぞく目利きのお客たち
作品の置かれている、ブリュノのインドネシア・バリ島の家
インドネシア・バリ島の家
バリ島の家の庭で
インドネシア・バリ島の家
バリ島の家で愛犬と
作品「Light my Globe」
作品「Man Walking on Green」
作品
がっしりとしたデザインテーブル
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)